アラン・トランメル Alan Trammell ~1987年MVP~

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Alan Trammell (アラン・トランメル)
(1958-)
Baseballer
Position:Short Stop
Threw/Batted:R/R
Height:183cm Weight:74kg

Stats

サンディエゴ近郊で生まれたトランメルは、創設間もないサンディエゴ・パドレスの熱狂的なファンであった。スタジアムの売り子のアルバイトをしていたこともあるという。

ハイスクールではバスケットの選手としても活躍。あちこちの大学から奨学金の申し出があったが、1976年にドラフト2巡目でデトロイト・タイガースに指名されると野球の道を選んだ。

この年のタイガースはジャック・モリス、ダン・ペトリ、スティーブ・ケンプとオールスター級の選手を大挙指名した当たり年であったが、トランメルはその中でも将来を嘱望される存在であった。

マイナーで生涯の盟友となるルー・ウィテカーと出会い、二遊間で揃って1977年にメジャーデビュー。打率.268、2HR、34打点を記録。新人王投票で4位に入った。何より新人王を受賞したウィテカーとのコンビネーションが高く買われての順位であった。

以来このキーストンコンビはタイガースになくてはならない存在となった。トランメルはショートとしては肩が弱かったが、送球のコントロールが抜群に良く、何より人柄に優れていた。打撃の方も徐々に良くなり、1980年には打率.300、9HR、65打点、12盗塁を記録してオールスターとゴールドグラブ賞に初選出。

1981年もゴールドグラブ賞に選出された。翌シーズンは不調に陥ったものの、続く1983年は打率.319、14HR、66打点、30盗塁という大活躍でカムバック賞を受賞し、ゴールドグラブ賞をウィテカーとダブル受賞。ハロウィンパーティーで浮かれすぎて転んで怪我をするという恥ずかしい事故はあったが、この活躍が買われてオフにはドラマ「私立探偵マグナム」にウィテカーと連れ立って出演。これはマグナム役でタイガースファンのトム・セレックたっての希望で実現したものだという。

1984年は怪我で欠場があったものの昨シーズン以上に好調で、久しぶりのオールスターにも選出され、チームも大躍進してポストシーズンへ進出。トランメルはレギュラーシーズン以上に打ちまくり、ワールドシリーズでは思い出のパドレス相手に打率.450の大暴れを見せて世界一に大きく貢献。シリーズMVPを獲得した。

以後もウィテカーと二人三脚でタイガースを攻守に盛り立てていたのだが、1987年に契機が訪れる。

当時のタイガースの4番はランス・パリッシュが担っていたのだが、そのパリッシュがFAで移籍してしまったのだ。代わりの4番打者に選ばれたのは、息子にランスと名付けるほどのパリッシュの親友であったトランメルだった。

これが大当たりし、トランメルは打ちにも打って打率.343、28HR、105打点、21盗塁という大暴れを見せ、4度目のオールスターに選ばれるとともにシルバースラッガー賞に初選出。しかし、MVP投票はジョージ・ベルに惜しい所で敗れて2位で終わった。

相棒ウィテカーはこの選出に不満があり、トランメルに”1987年MVP アラン・トランメル”と書いた二塁ベースを贈ってトランメルをねぎらった。二人は単なる職業上のパートナーではなく、かけがえのない親友でもあったのだ。

その後のトランメルはむしろ打撃に存在感を見せる選手となり、シルバースラッガー賞を都合3度受賞。他球団からのFAの誘いも拒絶し、タイガース一筋に野球人生を邁進するトランメルにデトロイト市民は自分たちの作る車以上の信頼を置いていた。

しかし、トランメルは古き良きアメリカ車程に頑丈ではなかった。年と共に怪我がちになって成績を少しずつ落とし、90年代に入るとシーズンを通じての出場は厳しくなっていく。

1995年にはウィテカーが引退。相棒を失って急激に老け込み、フランチャイズプレイヤーとしては異例中の異例の20年目のシーズンとなる1996年をもって現役を引退した。ウィテカーと二人で完成させた併殺は史上最多記録であるという。

引退後はタイガースやパドレスでコーチを歴任し、2003年からはタイガースの監督に就任。しかし、チームは若手中心で明らかに経験不足であり、トランメルが指揮するにははあまりに荷が重すぎた。就任早々リーグ歴代ワーストの119敗を喫した。

とはいえ翌シーズンからは70勝前後で推移するようになった。そしてトランメルには負けてもファンが許してくれるほどの人気があった。しかし、3年で300敗というのは監督としてはあまりに酷い。結局2005年シーズンをもって解任され、後任のジム・リーランドは就任初年にいきなりワールドシリーズにチームを導いたのだから、トランメルにはそもそも監督としての才能はなかったのかもしれない。

それでも人望もあってコーチとしてあちこちからお呼びがかかり、2007年にはシカゴ・カブスの、2011年にはチームメイトのカーク・ギブソンに乞われてアリゾナ・ダイヤモンドバックスのコーチに。2014年にはギブソン解任に当り3試合代行監督として指揮をとっている。

その後はタイガースに呼び戻され、GM補佐に就任。2017年のWBCではリーランドからコーチとしてアメリカ代表に招かれ、アメリカ代表の初優勝に貢献。

これが効いてか2018年には監督としての低迷もあって果たせずにいた殿堂入りを達成。引退後はゲイリー・シェフィールドやイアン・キンズラーが着けたきりだった背番号”3″がこれを受けて永久欠番となった。トランメルは今でもデトロイトでは知らぬ者の無いスターだ。

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