ベニート・サンティアゴ Benito Santiago ~No.09~

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Benito Santiago (ベニート・サンティアゴ)
(1965-)
Baseballer
Position:Catcher
Threw/Batted:R/R
Height:185cm Weight:81kg

Stuts

プエルトリコで生まれたサンティアゴの幼少期は悲惨そのものであった。トラック運転手の父親はサンティアゴの生後三ヶ月の頃に事故を起こしたが、治療を受けることが出来ずに死去。母親はサンティアゴを友人に押し付けて出奔し、サンティアゴは故事として育った。

だが、サンティアゴは野球の才能があった。そのおかげで極貧にもかかわらずハイスクールに進むことが出来、そのハイスクールのコーチがサンディエゴ・パドレスのスカウトでもあった縁から卒業後の1982年にドラフト外での契約を果たした。

1986年にメジャーデビューし、1987年からレギュラーに定着。ルーキーレコードなる34試合連続安打を記録するなど打ちまくり、打率.300、18HR、79打点の大活躍で新人王とシルバースラッガー賞を獲得。

その一方でリーグワーストのエラーとパスボールを記録していたのだが、翌シーズンには劇的に改善され、シルバースラッガー賞に加えてゴールドグラブ賞も獲得。膝を付いたまま二塁に投げる驚異の強肩で恐れられるようになる。

攻守にセンセーションを起こしたサンティアゴは続く1989年からは4年連続でオールスターに選出。1991年からは背番号9を防具で見えにくいという理由で”09”に変更。どこまでも目立ちまくるスター選手となった。

ところがサンティアゴは金にうるさかった。1992年シーズン開幕前に4年1100万ドルの契約を要求したが、パドレスが提示したのは単年165万ドル。調停で勝利を収めて330万ドルの契約を勝ち取ったものの、パドレスはサンティアゴを抱えることを諦め、シーズン終了後にFAで新設のフロリダ・マーリンズへと移籍した。

マーリンズでもチーム第1号HRを打つなど顔として活躍したものの、グレック・リドック監督からは無気力プレーを指摘されて干されるなど対立を深め、チャールズ・ジョンソンが後釜に使えるめどが立ったところでFAとなり、シンシナティ・レッズに移籍した。

レッズではトレードマークの背番号”09”を”18”に変更。以後は高年俸に加えて怪我勝ちになったことで嫌われ、毎年のようにチームを変わり、フィリーズ、ブルージェイズ、カブス、またレッズと渡り歩き、2001年にサンフランシスコ・ジャイアンツに落ち着く。

ジャイアンツでは正捕手に返り咲き、リーダーシップを発揮したのを買われてマーク・ガードナーとともにウィリー・マッコビー賞を獲得。

2002年は打率.278、16HR、74打点の活躍で十年ぶりのオールスターの檜舞台を踏み、翌シーズンは38歳にしてボンズの後を打つ5番打者に抜擢。しかし、ミッチェルれポーチに名前が乗り、ステロイド疑惑が浮上。ロッカールームから注射器が発見されてますます疑念は深まったが、サンティアゴはボンズの悪戯だと申し開きをした。

これでチームに居られるはずがなく、カンザスシティ・ロイヤルズに移籍。翌シーズンはピッツバーグ・パイレーツと契約したがほとんど出場はなく、その後はマイナー契約でしばらく過ごしたが、結局これを最後に引退状態となっている。

2015年にはパドレスの殿堂入りを果たしているが、クーパーズタウンはステロイドにことさら厳しく、サンティアゴの殿堂入りは危ぶまれている。

因みに息子のジュニアはバスケット選手で、プエルトリコのプロリーグでプレーしている。

https://twitter.com/MLBPuertoRico/status/1044622886886166529

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