カルビン・ジラルディ Calvin Schiraldi ~不運な男~

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Calvin Schiraldi (カルビン・ジラルディ)
(1962-)
Baseballer
Position:Pitcher
Threw/Batted:R/R
Height:196cm Weight:97kg

Stuts

ジラルディはテキサスではハイスクール時代から名の通ったピッチャーで、ドラフト17巡目でシカゴ・ホワイトソックスから指名を受けたが、これを断って地元のテキサス大学に進学した。

同期にはあのロジャー・クレメンスが居た。二枚看板としてチームを牽引し、1983年にはカレッジワールドシリーズで優勝。ジラルディはシリーズMVPを受賞するとともに、オールアメリカンに選ばれている。クレメンスより当時の評価は高かった。

だが、ある試合でジラルディに事件が起きた。90マイルの自慢の速球がそれ、バッターに当ったのだ。バッターは5か所も骨折してその場に昏倒し、救急車で運び出される惨事となった。ジラルディは顔面蒼白になり、大乱調に陥って6失点を喫してマウンドを降り、それからしばらく不調から抜け出せなかった。

1983年に全体27位でニューヨーク・メッツ入り。ちなみにクレメンスは19位でボストン・レッドソックスに指名を受けている。ジラルディのメンタルはこの頃から問題視されていた。

1984年にメジャーデビューしたものの勝ち星を挙げるには至らず、翌1985シーズンもメジャーとマイナーを往復して今一つ結果を残せず、シーズン終了後にボストン・レッドソックスへトレード。思いがけずクレメンスと再会することになった。

レッドソックスではリリーフに配置転換された。これが見事にはまり、クローザーとしてメジャー定着を果たし、25試合に登板して9セーブを記録。チームも順調に勝ち進み。エンゼルスとのリーグチャンピオンシップに臨んだ。

プレーオフでは4試合に登板し、セーブを記録しているが、3戦目で同点で登板しながら救援に失敗。ダグアウトに引き上げ、チームメイトの陰に隠れながらジラルディは涙を流して泣いた。

それでもチームはワールドシリーズに進出。古巣メッツを迎え討って開幕戦をセーブしたが、その後はシリーズ後半まで登板機会が来なかった。

6戦目、3-3で迎えた延長10回にレッドソックスは2点を追加し、とうとうジラルディに2度目の出番がやって来た。2アウトまでは難なくとったのだが、4番のゲイリー・カーターがヒットを打ったのを皮切りに、日本で悪名を馳せたあのケビン・ミッチェル、シリーズMVPを獲得するレイ・ナイトがいずれも2ナッシングからヒットを放って1失点。

ジラルディはまたしても救援失敗でマウンドを降り、シーズン序盤までクローザーだったボブ・スタンリーに交代。ところがワイルドっピッチで同点に追い込まれたうえ、ムーキー・ウィルソンが打ったファーストゴロをあろうことかファーストのビル・バックナーがトンネル。このあまりに有名なエラーの間にナイトが生還し、サヨナラ負けを喫してしまった。

ジラルディは7戦目でも登板したが、再びリードを許して逆転負け。ジラルディはバンビーノの呪いに無残にも食い付かれ、戦犯となってしまった。

その後のジラルディはメンタルばかりか肩肘まで痛めてすっかり精彩を欠き、1987年シーズンには中継ぎとして一定の活躍を収めたものの、終了後にシカゴ・カブスへトレード。

カブスでは先発に戻って9勝13敗の成績を残したが、翌シーズンは再びリリーフに。さらにトレード期限ぎりぎりでサンディエゴ・パドレスにトレードされるとまた先発と役割がコロコロ変わり、さらに頻繁にマイナー落ちを経験するようになっていく。

1990年シーズン終了後に解雇。生まれ故郷のヒューストン・アストロズと契約したもののメジャー昇格はかなわず、シーズン途中にテキサス・レンジャースへ移籍。ここで3試合メジャーで投げることができたが、大学時代の活躍は見る影もない衰えぶりで、このまま現役を引退した。

かねてからアマチュアの指導者になることを志望していたため、引退後は大学に戻って勉強をやり直し、ハイスクールのコーチに就任。弱い者の気持ちのわかる男だけに指導ぶりが良く、テキサスでも指折りの強豪校になっている。教え子には現在マイナーでプレーする息子のルーカスも居た。

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