ダレル・ポーター Darrell Porter ~悲劇の名捕手~

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Darrell Porter(ダレル・ポーター)
(1952-2002)
Baseballer
Position:Catcher

Threw/Batted:R/L
Height:183cm Weight:87kg

Stuts

メガネの印象的なポーターはミズーリで生まれてオクラホマで育ち、強肩と頭脳と闘志を武器に野球とフットボールの両方で州のMVPを獲得する大活躍を見せた。

QBとしてオクラホマ大から熱心に勧誘されたが、1970年のMLBドラフトでミルウォーキー・ブルワーズから全体4位の指名を受け、ポーターは野球の道を選んだ。

1971年に19歳の若さでメジャーデビューを果たすと、3年目の1973年には正捕手の座を掴み、打率.254、16HR、67打点の活躍で新人王投票で3位に。翌シーズンは打率.241、12HR、56打点ながらもオールスターに初選出。

ミルウォーキーでは打撃の粗い面が目立ったものの、1977年にトレードでカンザスシティ・ロイヤルズに移籍するとコーチの指導の甲斐あって大幅に改善され、1978年目には打率.265、18HR、78打点で二度目のオールスターに選出。MVP投票では10位に入った。

パワーあふれるバッティングと好守を誇る万能だったが、それ以上にポーターはガッツが
あった。常にワールドシリーズの7戦目のようにプレーすると言われた全力プレーはファンやチームメイトから愛され、監督のホワイティ・ハーゾクはポーターこそチームのMVPだと言ってのけた。

1979年はキャリアハイで、打率.291、20HR、112打点。リーグ最多の121四球を選んで出塁率は.421に達した。オールスターに選ばれたのは言うまでもないだろう。

だが、華々しい活躍の陰でポーターは酒と麻薬に溺れていた。プロ入りした頃から徐々に手を染め始め、この頃は毎晩1グラムのコカインを使い、大酒を飲んでいたというのだから無茶苦茶な話だ。

デンバーからカンザスへ帰る車中で7グラムのコカインを使ったこともあるという。7グラムは常人なら死んでもおかしくない量だが、ポーターの身体は並ではなかったということだろう。

薬物乱用は留まるところを知らず、コミッショナーが薬物乱用の証拠をつかみ、自分を追放しようとしているという妄想に取りつかれ、ショットガンとビリヤードの球を携えて一晩中家を見張ったこともあったという。

1980年のキャンプ中にはとうとう更生施設に送られるに至り、ポーターは幸か不幸かアメリカでも最初の薬物中毒を公表したアスリートになってしまった。ともかく薬をやめることはできたようだが、出所後にニューヨークのホテルのベッドでキリストと遭遇したという。つくづく麻薬とは恐ろしい。

ともあれ出会った相手がキリストだったのは幸運であった。ポーターは信仰に目覚め、熱心なクリスチャンとなり、その縁で二人目の妻を迎え、子供にも恵まれて幸せな家庭を築けたからだ。

だが、野球の方は成績を落としてしまった。1980年は打率.249、7HR、51打点とあまりに物足りない。もう一度麻薬を使うべきだと言う無責任なメディアもあったほどだ。それでもワールドシリーズに進出したロイヤルズの好成績に助けられてオールスターに選ばれたが、これが結局最後の選出となった。

このシーズン限りでFAになったが、薬物中毒という厄介な前科のあるポーターは各球団から敬遠され、結局このシーズンからセントルイス・カージナルスの監督に就任したハーゾクに付き従う形でカージナルスへ移籍した。

だが、この移籍は物議を呼んだ。当時の正捕手候補でのちに4回もオールスターに選出されるテリー・ケネディが、ポーターに押し出されてサンディエゴ・パドレスにトレードされたからだ。

果たしてケネディはパドレスでオールスターに選ばれた一方、ポーターはわずか61試合の出場に終わり、ポーターとハーゾクへの批判は最高潮に達した。

だが、翌シーズンは打率.231、12HR、48打点とある程度持ち直すと、アトランタ・ブレーブスとのプレーオフでは9打数5安打5四球の活躍でMVPを獲得。古巣ブルワーズとのワールドシリーズでは打率.286、1HR、5打点として世界一に大きく貢献し、これまたMVPを獲得。プレーオフとワールドシリーズの両方でMVPを獲得するのはウィリー・スタージェルに次ぐ二人目の快挙であった。

このポーターの大活躍を遠く日本でテレビを通して観ていた一人の青年が居た。青年は自分と同様キャッチャーでありながら眼鏡をかけたポーターに励まされ、眼鏡のキャッチャーは成功しないというジンクスを跳ね除けて野球史に残る大選手となる。青年の名前は古田敦也であった。

だがこのMVPが最後の輝きで、1985年にはシーズンを通して正捕手の座を守ることができず、チームはワールドシリーズに進出したもののこれまた古巣のロイヤルズの前に敗退。

翌シーズンからはテキサス・レンジャースに移籍したものの、DHやファーストに回ることが多くなり、1987年限りで現役を引退した。

引退後はミズーリに帰って解説者の傍ら、アンティークの販売のビジネスを営んでいたが、2002年8月5日、新聞を買いに車で家を出たきり行方をくらまし、近くの公園で死んでいるのが発見された。

検死の結果コカインの痕跡が発見された。ポーターは最後まで麻薬から逃げることができなかったのだ。

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