デニス・エカーズリー Denis Eckersley ~Eck~

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Denis Eckersley(デニス・エカーズリー)
(1954-)
Baseballer
Position:Pitcher

Batted/Threw:R/R
Height:188cm Weight:86kg

Stuts

サンフランシスコで生まれたエカーズリー少年は、当然ながらサンフランシスコ・ジャイアンツを応援し、またオークランド・アスレチックスを応援した。

ヒーローはウィリー・メイズとフアン・マリシャルで、とりわけマリシャルの高々と足を上げるフォームには大変な薫陶を受け、自身のフォームにもそれが表れている。

高々と左足を上げ、サイドスローから投込む140キロの速球とスクリューボールを武器にハイスクールでは29勝をマーク。1973年にドラフト3巡目でクリーブランド・インディアンスに指名されたものの、ジャイアンツ入りを望んでいたため酷く落ち込んだという。

とはいえ1975年に早くもメジャーデビューするとシーズン途中からローテーションに入り、剛速球に物を言わせて13勝7敗、防御率2.60の成績の大活躍。それに加えて西部劇の悪役を思わせる口髭と長髪、特徴的なサイドスローに闘志むき出しのピッチングと押し出しの強さは抜群で、たちまち絶大な人気を獲得した。

押し出しは強いがコントロールが良い。よって四球は少ないのだが、闘志が裏目に出てむきになるところがあり、力勝負に負けて手痛いホームランを食らうこともままあったが、そんなところもまたファンに愛された。

ともあれ順調に勝ち星を積み重ね、1977年にはオールスターに初選出。翌シーズンはトレードでボストン・レッドソックスに移籍。キャリアハイとなる20勝8敗の大活躍を見せたのだが、その一方で私生活には影が忍び寄りつつあった。

インディアンス最終年に妻があろうことか同僚のリック・マニングの元へ走り、後にモデル出身の後妻を貰ったものの、上手くいかずに短期間で破局。エカーズリーは段々とヤケ酒を煽るようになっていく。

不摂生が祟って球速が落ちたのをコントロールと変化球に磨きをかけて補っていたのだが、それにも段々と無理が来るようになり、1984年シーズン途中にシカゴ・カブスにトレード。

チームを1945年以来初のプレーオフへと導いたのだが、当時ナイター設備の無かったリグレー・フィールドを本拠地とするカブスへの移籍は、エカーズリーを更に酒漬けにしていった。

カブス時代には完全にアルコール中毒に陥り、酒で体を壊して死ぬ恐怖を酒で紛らわしていたというのだから、想像を絶する苦しみであったろう。

1986年には6勝11敗防御率4.57という自己最悪の成績に終わり、シーズン終了後に一念発起してアルコール中毒の矯正施設へ入所。酔って暴れる姿を家族がビデオで録画し、それを素面の時に見せたことが決め手になったという。

しかし、カブスもいい加減愛想が尽きたとみえ、更生も空しく翌シーズン開幕前にマイナーの3選手と交換でアスレチックスにエカーズリーを放出した。

だが、これがエカーズリーの幸運だった。名将トニー・ラルーサの肝いりでリリーフに配置転換されると、中継ぎとして好ピッチングを見せ、クローザーを務めていたジェイ・ハウエルの故障に伴いシーズン途中からクローザーの座に収まると、16セーブをマーク。

翌1988年はリーグ記録となる45セーブをマークして3度目のオールスターに選出。チームもロサンゼルス・ドジャースを迎え撃ってのワールドシリーズに進出したが、第1戦でカーク・ギブソンに痛恨の代打サヨナラHRを浴びて敗退。

雪辱に燃える1989年シーズンは兄弟が誘拐殺人を犯して収監されるなどの不幸もあったものの、昨年に続いてワールドシリーズに進出。

ジャイアンツとの”ベイエリアシリーズ”は大地震に見舞われての中断も挟んだが、4連勝でとうとう世界一を達成。第4戦をセーブしたエカーズリーは所謂胴上げ投手である。

その後はメジャー第一のクローザーの座に長きにわたって君臨し、1992年には37歳にして51セーブを記録し、サイヤング賞とMVPを同時受賞。リリーフ投手が同時受賞するのはローリー・フィンガース、ウィリー・ヘルナンデスに次いて三人目で、四人目の登場は2003年のエリック・ガニエを待たなければならない。

その後は歳もあって衰えが目立つようになり、1995年には恩人ラルーサに付き従う形でセントルイス・カージナルスに移籍。2年間クローザーを務めた後、1998年にはボストン・レッドソックスに移籍。

レッドソックスでは中継ぎに転じたが、43歳とあって衰えは如何ともしがたく、同年限りで引退した。通算390セーブは歴代7位。シーズン20勝と50セーブを両方達成した投手は他にジョン・スモルツしかいない。

2004年には殿堂入り。翌年には背番号”43″がアスレチックスの永久欠番に制定されている。

現在はマネージャーだった女性を三人目の妻に迎え、天性の押し出しの強さを如何なく発揮して個性派解説者として人気を集めている。

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