ドン・ニューカム Don Newcombe ~Newk~

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Don Newcombe (ドン・ニューカム)
(1926-2019)
Baseballer
Position:Pitcher
Threw/Batted:R/L
Height:193cm Weight:99kg

Stuts

ニュージャージーの富豪の家で長年お抱え運転手を務めたニューカムの父親には、おおっぴらにできない副業があった。彼の作るビールは近所の人に評判であったという。これがなければニューカムの人生はもう少し良いものになったかもしれない。

かくしてニューカムは13歳で酒を覚え、浴びるように飲むようになった。1941年12月8日、真珠湾攻撃のニュースを15歳のニューカムはバーでビールを飲みながら聞いたという。

父は喧嘩早くて体格に恵まれたニューカムをボクサーに育てようと画策したが、ニューカムは野球に才能を発揮。ハイスクールには野球チームがなかったためセミプロのチームに入り、昼は学校、夜は野球と酒という生活を送り、地元の二グロリーグの名門、ニューアーク・イーグルスと1944年に契約した。

二グロリーグでのニューカムは実はトッププレーヤーとは言えなかったという。だが若さと素質は目を見張るものがあり、これを買われて1946年に同僚で女房役のロイ・キャンパネラと連れだってブルックリン・ドジャースと契約。1949年にメジャーデビューし、大リーグ初の黒人ピッチャーとして野球史に名前を刻んだ。

剛速球を武器に主戦投手として華々しく売り出すとともに、黒人ファンから絶大な支持を獲得。ジャッキー・ロビンソン、ラリー・ドビー、キャンパネラと4人揃って黒人初のオールスター選出を達成。リーグトップの5完封を含む17勝8敗、防御率3.17を記録。新人王のタイトルまで獲得した。

以後実力、興行面ともにドジャースの柱として自慢の剛腕を振るい、3年連続でオールスターに選出。1951年には164奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得。

翌年から2年間朝鮮戦争に出征して野球から離れ、復員した1954年こそ不調に終わったものの、続く1955年は20勝5敗を挙げて完全復活し、オールスターに4度目の選出。元々ニューカムは代打に出されるほど打撃に強みを見せていたが、このシーズンはなんと7HRを打っている。

しかしなんといっても最高のシーズンは1955年で、27勝5敗という驚異的な成績を残し、サイ・ヤング賞とMVPを同時受賞。これに加えて新人王を受賞した選手は長年ニューカムのみで、2人目は2011年のジャスティン・バーランダーの登場を待たねばならなかった。

このシーズン、チームはニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズを制し、初の世界一を達成。ちなみにバーランダーのチャンピオンリング獲得は2017年までかかった。

しかし、この世界一を機にニューカムの成績は急降下する。粗暴で酒乱のニューカムは周囲から敬遠され、それが面白くなくて余計に深酒を煽り、酔っては暴れて妻子に暴力を振るった。アルコール中毒とすさんだ生活が日に日にニューカムを衰えさせる。

そうこうするうちに1958年、チームがロサンゼルスに移った。万難を排してチームを移転させ、ファミリー主義を標榜するウォルター・オマリーオーナーは、もはや並のピッチャーになり下がったこの凶暴なアル中をチームに置いておくことは”家族”の為にならないと考え、開幕から勝ち星のないまま6連敗を喫した後、シンシナティ・レッズにニューカムは放出された。

シンシナティでは多少息を吹き返したものの、結局往時の剛腕ぶりが戻ってくることはなく、1960年シーズン途中に金銭トレードでクリーブランド・インディアンスへ。このシーズンを最後にメジャーのひのき舞台から姿を消し、1961年はマイナーリーグでシーズンを過ごした。

そして1962年、ラリー・ドビーと一緒にNPB中日ドラゴンズと初の外国人選手として契約。大物中の大物の来日に名古屋の街は沸き立ったが、もはやピッチャーとしてプレーする気はなく、外野手登録であった。

ドラゴンズでの打撃成績は打率.262、12HR。何しろ外国人が珍しいというので客が入った時代なので興行面での貢献はあったようだが、高い年俸を払うには物足りない。しかもとんでもない素行不良で、当時を知る関係者からは酷評されている。シーズン終盤にファンサービスとして1試合だけ登板したが、結局これを持ってニューカムのキャリアは終わった。

通算149勝90敗という成績は、輝かしい序盤のキャリアを考えると物足りない。酒と人となりが選手生命を縮めたのだ。

引退後のニューカムはますます酒に溺れ、1965年には酒代にさえ事欠き、あろうことかチャンピオンリングを売り出す暴挙に出ている。結局ピーター・オマリーが買い戻してニューカムに返したと言うが、このニュースは植菌義に伝えられた。

だが、これを機にニューカムは酒を止めることができた。放蕩息子の帰還ではないがドジャースのフロントに拾われ、アルコール中毒の更生プログラムに携わる新生活が始まった。

少なくない選手を自分の二の舞にならないように導き、晩年には球団の特別顧問にも任命され、穏やかに晩年を過ごして2019年2月19日、92歳の人生を終えた。

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