ダグ・デシンセイ Doug DeCinces 〜Post Brooks〜

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Doug DeCinces (ダグ・デシンセイ)
(1950-)
Baseballer
Position:Third Baseman
Threw/Batted:R/R
Height:188cm Weight:86kg

Stuts

デシンセイの父親はカリフォルニアで不動産屋を営みながらポニーリーグのコーチをしていた。デシンセイも当然のように彼のもとでプレーし、一歳年下のチームメイトには何とドワイト・エバンスが居た。他にも合わせて7人の大リーガーを教え子から出しているというから大したものだ。

ハイスクールでのデシンセイはむしろバスケットの選手として評価されていたが、デシンセイは根っから野球が好きで、無名校の短大でプレーする道を選び、1969年には創設したてのサンディエゴ・パドレスから18巡目で指名を受けているが、これを断り、翌年3巡目でボルチモア・オリオールズに身を投じた。

マイナーでは内野の全てのポジションを経験したが、やがてサードに定着。1973年にメジャーデビューを果たしたが、当時のオリオールズのホットコーナーは”人間掃除機”ブルックス・ロビンソンが固めており、デシンセイはずっと控えであった。

ところがロビンソンもやはり人の子なので衰え始め、その後釜としてデシンセイは徐々に出場を増やしていくのだが、ロビンソンは余りに偉大すぎた。デシンセイは不当に低い評価を受け、気性の荒いアール・ウィーバー監督からは連日怒鳴りつけられ、ファンからは嫌がらせの手紙が届く有様で、ノイローゼに陥ったことさえあるという。

1976年にはとうとうデシンセイがサードのレギュラーとなり、1977年にはロビンソンが引退。同年8月13日はブルックス・ロビンソンデーと銘打たれて引退セレモニーが行われた。デシンセイは試合前のセレモニーでサードベースをグランドから引き抜き、ロビンソンへと贈ったその瞬間、肩の荷が下りるのを感じたという。

試合では第1打席でHRを打ち、以後完全に吹っ切れたデシンセイは攻守にロビンソンの穴を埋め、同年は打率.259、19HR、69打点をマーク。ウィーバーのプレッシャーも殴り合い一歩手前の喧嘩を経て克服し、翌シーズンは28HRを記録し、チームレコードとなる21試合連続安打も達成。

ロビンソンに負けない守備に加えて一発パワーがあるデシンセイはチームの中心選手としてなくてならない存在となり、1979年には8回ビハインドからの逆転勝ち実に11回という”オリオールマジック”と呼ばれたチームの原動力となり、ワールドシリーズ進出を達成。しかし、生涯一度の檜舞台はピッツバーグ・パイレーツの前に苦戦し敗れ去った。

デシンセイは攻守に活躍すると同時に類まれなリーダーシップがあった。その人間性を買われてアメリカンリーグの選手会長に就任し、FA制度導入のための労使交渉の最前線に立って活動したが、これが行き過ぎて1981年にMLBはとうとうストライキで短縮シーズンとなった。

果たしてFAは導入されたのだが、デシンセイは要注意人物として睨まれる存在になり、カル・リプケン.Jrが育ってきたこともあって1981年シーズン終了後にカリフォルニア・エンゼルスにトレードされた。

しかし、これはオリオールズの失敗だった。故郷に戻ったデシンセイは大ハッスルして打ちまくり、8月3日には1試合3HRを達成。更に8月8日にも2HRを放ち、1週間に2度1試合複数HRを達成するというMLB記録を樹立。この偉業を讃え、クーパーズタウンの野球殿堂にはこの時使われたバットが展示されている。

結局シーズン通して打率.301、30HR、97打点というキャリアハイの成績を残し、MVP投票で3位に入り、シルバースラッガー賞を獲得。翌シーズンには初めてオールスターに選ばれるなど、30歳を過ぎて突然全盛期を迎えた。

しかし、オリオールズ時代から痛めていた背中の古傷が徐々にデシンセイを衰えさせ、1987年シーズン終盤にエンゼルスを解雇され、セントルイス・カージナルスで4試合プレーしてシーズンを終えた。

オフにヤンキースやアスレチックスからオファーはあったものの、デシンセイは意外な行動に出る。日本のヤクルト・スワローズと契約したのだ。高年俸とレギュラーの確約が決め手になったという。

日本でのデシンセイは37歳の高齢ながら、メジャーの貫禄を攻守に見せつけるプレーを見せていた。しかし、当人も家族も日本に馴染むことが出来ず、背中の古傷の悪化もあってシーズン後半を欠場。結局そのまま現役を引退した。後にデシンセイはこの経験を活かして映画「ミスターベースボール」のアドバイザーに名を連ねている。あの映画を見る限り、デシンセイは日本の暮らしがよほど嫌だったようだ。

引退後は父親の後を継いで不動産業を皮切りに各種のビジネスを展開。レストランの経営や株取引、代理人としてトロイ・グロース等を担当するなど、現役時代と変わらぬ切れ者ぶりで富を築き、オリオールズの殿堂入りを果たすなど順風満帆の余生を贈っていたのだが、2011年になってなんとインサイダー取引が発覚。その後有罪となって自宅禁錮の刑が課されるに至り、にわかにデシンセイの人生に暗雲が立ち込め始めている。

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