エリック・ガニエ Eric Gagne ~GAME OVER~

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Eric Gagne (エリック・ガニエ)
(1976-)
Baseballer
Position:Pitcher
Threw/Batted:R/R
Height:188cm Weight:88kg
Relatives:
Paul Gagne (ポール・ガニエ)(遠縁)

Stats

 モントリオールでフランス系の家に生まれ育ち、父のいとこのポールはNHLプレイヤーというガニエは、多くのモントリオールの少年がそうであったようにエクスポズとカナディアンズを応援して育ち、夏は野球で冬はホッケーという少年時代を送った。

 特に父がチームを務めるリトルリーグでの活躍は輝かしく、カナダチャンピオンにタイトルを獲得。これが買われて英語も話せないというのにオクラホマの短大へ進学できた。

 テレビドラマで英語を覚えて短大でも活躍。1994年に30巡目でシカゴ・ホワイトソックスに指名されたもののこれを断り、翌シーズンにマイノリティの獲得に先見の明があるロサンゼルス・ドジャースとドラフト外で契約した。

 マイナーでは1997年にトミージョン手術を経験するなど苦労したが、1999年にセプテンバーコールアップでメジャーデビュー。翌シーズンから先発ローテーションに入り4勝6敗の成績を残すと、翌シーズンは6勝7敗。

 しかし、スタミナに乏しくいずれも防御率は5点前後で、特に目立った成績のピッチャーではなかった。

 ガニエの運命は21世紀の訪れとともに変わった。ドジャースのクローザーであったジェフ・ショーが43セーブを記録しながら突然引退し、ガニエが後任のクローザーに据えられたのだ。

 以来、小太りと汚い帽子がトレードマークのこの闘志満点のフレンチカナディアンはロサンゼルスの街の一部となった。150キロ台の速球と多彩な変化球、特に必殺のバルカンチェンジがドジャースの9回を完全に制圧した。

 開幕から10試合連続救援成功の大活躍でケベック出身者としては1966年のクロード・レイモンド以来のオールスターに選出。結局シーズン終わりまで一度の救援失敗もなく、驚異の52セーブをマークした。

 翌シーズン、初の救援失敗を喫して連即記録は84で止まったが、これは今なお破られない最長記録である。ドジャースタジアムの9回は”Welcome to jungle”を出囃子にガニエが現れ、スコアボードには”GEME OVER”の文字が明滅した。こうなると敵チームはジャングルに迷い込んだも同然であった。

 同年史上最速で100セーブを達成。ジョン・スモルツと並ぶリーグタイ記録である55セーブを記録し、リリーフ投手としてはデニス・エカーズリー以来、カナダ人としては1971年のファガーソン・ジェンキンス以来のサイヤング賞を受賞。

 オフの契約更新では55万ドルの薄給から一気に800万ドルへのサラリーアップを要求して年俸調停を行い、500万ドルで決着。名実ともにメジャーきってのクローザーとなった。

 翌シーズンも45セーブを記録し、ショーの記録したドジャースの最多セーブ記録を更新。3年連続のオールスターに選出され、プレーオフでも3登板を無失点に抑えたが、カージナルスの前に屈してワールドシリーズ進出は叶わなかった。

 これがケチの付き始めだったのか、ガニエの野球人生に怪我という難敵が再び襲い始める。膝や肘を壊して翌シーズンはわずか14試合しか登板できず、当時ほとんど例のなかった2度目のトミージョン手術を受けるに至った。

 後に告白したところによるとヒト成長ホルモンにも手を出したというが、結局ガニエの全盛期はこれを最後に終わった。

 2006年のWBC出場を目指したが叶わず、シーズン途中に復帰したものの全く振るわず、ドジャースは契約延長を拒否。テキサス・レンジャースへと移籍した。

 レンジャースではそれなりの成績を残したものの、トレード期限ぎりぎりの7月31日にボストン・レッドソックスにトレード。レッドソックスではお馴染みの背番号”38″はカート・シリングが着けていたためひっくり返して”83″に変更した。

 レッドソックスには既にクローザーのジョナサン・パペルボンが居るため、ガニエは中継ぎとして起用されたが、ガニエは慣れない仕事に苦しみ、せっかく持ち直した成績は大きく落ちてしまった。

 これに目を付けたのがミルウォーキー・ブルワーズで、馴染みのクローザーの地位と背番号”38″と1000万ドルの年俸でオファーを出してFAになったガニエを獲得した。

 しかし、ガニエの往時の輝きは戻ってこず、サロモン・トーレスにクローザーの地位を明け渡して中継ぎに配置転換。その地位さえシーズン中にギレルモ・モタに明け渡し、ロングリリーフでプレー。ブルワーズファンはガニエを”1000万ドルの失敗”と呼んだ。

 翌シーズンは故郷に錦を飾るべくカナダの独立リーグでプレー。リーグ制覇に大きく貢献するとともに、それ以上に集客に貢献した。

 メジャー復帰を模索し、翌シーズンはドジャースのキャンプに参加。1試合マイナーで投げたものの、メジャー復帰はとてもおぼつかず、現役を引退した。

 フランス語が話せるのを活かして2013年にフランス代表のコーチに就任。しかし、フランス代表は2度のWBCの予選を突破できず、結局ガニエはWBCの舞台に立つことは叶わなかった。

 このままコーチになる道もあったが、闘志あふれるガニエはマウンドを諦めきれず、2015年に再びカナダで現役復帰。ファンサービスで先発するなど再び集客に貢献し、独立リーグでありながら8000人の観客の前で引退した。

 2017年にはカナダ代表のスタッフとしてついにWBCに参加できたが、大会終了後に再び現役復帰を画策。ドジャースのキャンプに参加したが、本契約には至らず、レンジャーズ傘下のマイナーでコーチになった。

 この分だともう1回くらいガニエは戻って来るのではないだろうか。

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