ジム・リーランド Jim Leyland 〜名監督、名選手ならず~

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Jim Leyland (ジム・リーランド)
(1944-)
Baseballer
Position:Manager
Threw/Batted:R/R
Height:180cm Weight:79kg

Stuts

どんな競技にしろ、名選手が名監督になるとは限らない。それでも日本は力士としての実績がないと親方になれない相撲の影響か、名選手を監督にしないと文句が出る。

これがアメリカだと名選手はそもそも指導者にあまりなりたがらない。まして監督のような辛い仕事は御免というわけだ。それ故選手実績皆無の名将というのがしばしば現れる。

ジム・リーランドは1963年にキャッチャーとしてデトロイト・タイガースと契約したが、6年プレーして2A止まり。その間の通算打率は.222という悲惨なものであった。

この手の選手は適当なところで野球から足を洗ってしまうのが普通だが、リーランドの卓越した野球理論が上層部から高く買われ、1970年に選手からコーチへ転身。1972年にはAで監督に就任した。

その後長きに渡ってマイナーで指導者としての実績を積み重ね、1982年にはシカゴ・ホワイトソックスのコーチに。そして1985年にはとうとうピッツバーグ・パイレーツの監督に就任した。

咥え煙草がトレードマークのリーランドの下パイレーツは徐々に力を付け、初年度は大きく負け越したものの、翌シーズンは80勝82敗と五分まで持っていき、1990年から3年続けて地区優勝を達成。

ワールドシリーズには進出できなかったもののリーランドの手腕は高く評価され、1990年と1992年の最優秀監督に選出。この頃のコーチングスタッフは少なからず出世し、テリー・コリンズも教え子の一人である。

しかし、その後はオーナーが変わった影響からチームの財政が大幅に悪化し、主力選手が相次いで放出されて成績は低迷。リーランドはピッツバーグに家を建てて当地に骨を埋めるつもりで居たのだが、1997年にフロリダ・マーリンズの監督に就任した。

当時のマーリンズは創設間もないながら活きの良い若手が揃っており、リーランドは存分に腕をふるって92勝70敗をマークし、初のワールドシリーズに進出して世界一を達成。1993年の創立からわずか5年でのワールドシリーズ制覇は今でも最短記録として残っている。

しかし、翌シーズン終了後のオーナー交代を控え、選手年俸の高騰を恐れたマーリンズは悪名高い”ファイヤーセール”で主力選手を軒並み放出。年俸総額が4分の1にまで削減されたというのだからリーランドもたまらない。

結局翌シーズンは世界一の栄光など見る陰もない54勝108敗という散々な成績に終わり、リーランドは退任。翌シーズンはコロラド・ロッキーズで監督を努めたもののさしたる成果を残せず1シーズンで退任。以後はピッツバーグに帰り、セントルイス・カージナルスのスカウトとして近辺のアマチュアを見て回りながら、半ば隠居して過ごしていた。

ところが、2006年になって突然古巣のタイガースからお呼びがかかった。2003年に監督に就任したアラン・トランメルはタイガースが誇る天下御免のスーパースターで、負けても負けてもファンが許してくれるという人気者だったのだが、初年度のリーグ史上ワーストとなる119敗を皮切りに、3年間で残した勝率が.383という度を越したものであった。

それなら逆にタイガースが誇る叩き上げをということで呼び戻されたリーランドは、初年度からいきなりチームを立ち直らせ、前年70章だったチームを95勝まで引っ張り上げてワールドシリーズに進出。奇しくも古巣のカージナルスに敗れて世界一は逃したものの、史上7人目の両リーグ優勝監督になるとともに、久しぶりの最優秀監督に選出された。

その後のタイガースは強豪チームとしての地位を築き、2011年には1987年以来となる地区優勝を達成。よく2012年も45年ぶりの三冠王となったミゲル・カブレラの活躍も合って連覇を達成し、ワールドシリーズに進出。

ワールドシリーズはサンフランシスコ・ジャイアンツに敗れたものの、続く2013年も地区優勝して三連覇を達成。両リーグで地区3連覇を達成したのはリーランドだけである。

これを花道に高齢もあって監督を退任。タイガースのスペシャルアシスタントに就任したのだったが、2016年にアメリカ代表の監督に就任。因縁?のトランメルもコーチに据えて2017年の第4回WBCに出場し、アメリカ代表の悲願となる初優勝を達成。本場の面目を見事施したのだった。

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