ジョン・オルルド John Olerud ~Johnny O~

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John Olerud (ジョン・オルルド)
(1968-)
Baseballer
Position:First Baseman
Threw/Batted:L/L
Height:196cm Weight:92kg

Relatives:
Dale Sveum (デール・スウェイム)(従兄)

Stats

https://twitter.com/wsucougarbsb/status/1090041330233798657

 オルルドの父はワシントン州立大でキャッチャーとしてオールアメリカンに選ばれ、カレッジワールドシリーズで準優勝を経験。マイナーリーガーとしてプレーしながら医師の資格を取ってワシントン大の大学病院に勤めていた。

 更に従兄は後にブルワーズやカブスで監督を務めたデール・スウェイムというなかなかの良血ぶりだ。

 ともすれば、オルルドの優等生なキャラクターは遺伝だったという事だろう。父のキャンプについて行って野球をプレーし、7歳にして抜群のセンスで観客を驚かせたという。

 ハイスクールでは野球の他にバスケットとゴルフもプレー。ニューヨーク・メッツから指名を受けたものの、父同様ワシントン州立大に進んだ。

 父の時代から30年以上に渡って同大を指揮した名将チャック・ブレイトンの下でプレー。1年目にしてピッチャー兼ファーストとしてオールアメリカンに選ばれた。

 2年目には打率.464、23HRを打つ一方でピッチャーとして15勝無敗の大活躍でカレッジ最優秀選手に選ばれた。エースで四番というわけだ。

 オルルドの将来は約束されたも同然に思われたが、思いがけない事故に見舞われる。オフのジョギング中にくも膜下出血で倒れたのだ。

 父の応急処置で命拾いして病院に運び込まれ、難手術をどうにか耐えきったが、さらに悪い事に脳に動脈瘤が発見され、以後は守備の時もヘルメットをかぶるようになった。彼のトレードマークには意外に暗い過去があったのだ。

 この件でプロからの評価を落とし、3年目は成績もダウン。しかし、そこに目を付けたトロント・ブルージェイズが3巡目で指名し、そのままマイナーを経験せずに直接メジャーデビューした。

 2年目から本格的にメジャーに定着し、DHでグレナレン・ヒルとツープラトンで起用される一方でフレッド・マグリフの控えとしてファーストでもプレー。打率.265、14HR、48打点の活躍で新人王投票で4位に入った。

 翌シーズンにはマグリフは放出され、ファーストの定位置を獲得。類稀な安定性を誇る中距離ヒッターとして華々しくエリート街道をまい進。優等生らしくハイスクールの同級生と結婚した1992年には世界一の栄誉を得た。

 カナダ一の幸せ者となって迎えた1993年の活躍ぶりは凄まじく、8月終わりまで打率4割を維持してあわや4割打者という好調ぶりで、終わってみれば打率.363で首位打者のタイトルを獲得。出塁率.473、OPS1.072もリーグトップという暴れぶりでオールスターに初選出され二連覇を達成。

 しかし、この活躍が凄すぎて翌シーズン以降の成績がかすんでしまい、ジョー・カーターやカルロス・デルガドといった若手の台頭と高年俸もネックとなり、1996年シーズン終了後にロバート・パーソンとのトレードでニューヨーク・メッツに移籍した。

 メッツには野球留学からメジャー昇格を果たした柏田貴史が居た。以来、ずっとオルルドは日本人選手と一緒にプレーし続ける巡り合わせになり、目立つ名前も相まって日本でもお馴染みの選手となった。

 家族思いのオルルドは家賃の高いのを承知でニューヨークへの移住を決意。当時ニューヨークに住む選手は他にデレク・ジーターとデビッド・コーンだけであった。

 その甲斐あって移籍初年度から打率.294、出塁率4割の活躍で期待に応え、エドガルド・アルフォンゾ、レイ・オルドニェズ、ロビン・ベンチュラとの内野陣はスポーツイラストレイテッドの表紙を飾り、ボルチモア・オリオールズの百万ドルの内野陣以来のメンバーと称された。

 盗塁はシーズン1回有るか無いかのオルルドだが、柏田の代わりに吉井理人が加入した翌シーズンはサイクルヒットも達成。ラリー・ウォーカーと最終戦までもつれる熾烈な首位打者争いを展開し、リーグ2位の打率.354を記録。これは今なおチームレコードである。

 翌シーズン終了後にFAを獲得し、争奪戦の末にシアトル・マリナーズと3年2000万ドルの大型契約で里帰り。佐々木主浩と一緒になった。

 マリナーズでは打撃に隠れがちだった守備も高く買われ、初のゴールデングローブ賞を獲得。翌シーズンはイチローも加入し、強力打線を武器にマリナーズは驚異の116勝を達成。3年ぶりの3割に加えて2度目のサイクルヒットという快挙を達成したオルルドは2度目のオールスターに選ばれた。

 以来2年連続でゴールデングローブ賞を獲得したが、2004年は打率2割5分を割り込む絶不調で、シーズン途中に解雇。

 これに目を付けたのがジェイソン・ジアンビの代わりのファーストを探していたニューヨーク・ヤンキースであった。今度は松井と一緒というわけだ。

 ジアンビの穴を埋める活躍で再びニューヨーカーから信頼を得、古巣のマリナーズでも歓迎される人気ぶりだったが、プレーオフで足の靭帯を切ってしまい、シーズン終了後に解雇された。

 引退も考えたが、あろうことかボストン・レッドソックスとオファーが届いてマイナー契約。プロ入り以来初めてマイナーでのプレーを経験し、「順序が逆だ」とチームメイトに冷やかされたが、メジャー昇格を果たして控えながらも一定の活躍を見せ、これを持って現役を引退した。

 引退後はワシントンに帰り、娘が難病を患ったのを機に設立した財団の運営に従事。2007年にはカレッジの殿堂入りを果たし、カレッジで複数のポジションで活躍した選手に贈られるジョン・オルルド賞が設立された。

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