Marquis Grissom (マーキス・グリッソム)
(1967-)
Baseballer
Position:Outfielder
Threw/Batted:R/R
Height:180cm Weight:86kg
Stuts
アトランタのグリッソム家は貧しかった。父親はフォードの工場のライン工で人並みの収入はあったのだが、何しろ16人も子供がいたのだ。マーキスは15人目であった。
それ故道具が買えず、マーキスは野球などやろうとも思わなかった。こんなに子供が居ては親の目も届かず、とんだ悪ガキであったという。しまいにはパトカーに投石するという度の過ぎた悪戯をやらかしている。
だが、これが幸いするのだから世の中はわからない。その強肩を警官に見込まれ、彼の支援で野球を始めることになったのだ。マンガのような話だ。
高校でも大活躍し、シンシナティ・レッズからドラフト外でのオファーを受けたが、奨学金をもらってフロリダA&M大に進学。投手兼外野手として、更にはフットボールと陸上でも活躍し、1988年に全体76位でモントリオール・エクスポズに指名された。
選手層の薄いエクスポズとあってマイナーでめきめきと頭角を現し、1989年には早くもメジャーデビュー。翌シーズンは98試合に出場して打率.257、6HR、29打点、22盗塁を記録。新人王投票で7位につけた。
1991年には1番センターの定位置を確保。打率.267というのは物足りないが、76盗塁を記録して盗塁王のタイトルを獲得した。
翌シーズンも78盗塁を記録して二年連続の盗塁王を獲得。1番打者としては粗削りながらも一発を狙えるパワーがあり、以後エクスポズの核弾頭として確固たる地位を確立した。
俊足強肩を活かして守備の方でも存在感を見せ、1993年から4年連続でゴールデングローブ賞を受賞。オールスターにも選出され、弱小エクスポズの看板選手としてやっていくつもりだったのだが、エクスポズは弱いだけでなく貧乏で、ストライキにMLB全体が揺れるさなかの1995年シーズン開幕前にアトランタ・ブレーブスにトレードされた。
ブレーブスでもトップバッターに座り、チーム唯一の地元出身者ということもあって絶大な人気を獲得。強豪ブレーブスはポストシーズンに駒を進め、グリッソムはここで大活躍。クリーブランド・インディアンスを迎え討ってのワールドシリーズでも打率.360と大暴れし、4勝2敗で世界一に輝き故郷に錦を飾った。
両親と兄弟に立派な家を建ててやり、強いブレーブスで地元のスターとしてハッスルするグリッソムだったが、ブレーブスの財政も意外に悪く、4年連続のゴールデングローブ賞を獲得した1996年シーズン終了後に今度は因縁のインディアンスにトレード。
インディアンスではレギュラーシーズンの働きぶりは今一つだったものの、ポストシーズンで再び勝負強さを見せ、リーグチャンピオンシップではMVPを獲得。ワールドシリーズは大学時代を過ごしたフロリダのマーリンズに屈したが、グリッソムは7試合すべてでヒットを打っている。
シーズン終了後にミルウォーキー・ブルワーズにトレード。この頃には盗塁はかなり減り、パワーに磨きをかけて5番あたりを打つようになっていく。
ブルワーズでは元気なところを見せていたのだが、2001年にロサンゼルス・ドジャースに移籍すると成績を落とし、出場機会を求めて2003年にはFAでサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍した。
ジャイアンツではバリー・ボンズの後を打つ5番打者として息を吹き返し、2004年にはキャリアハイの90打点をマークしたが、2005年には出場機会が大幅に減少し、シーズン終了後に解雇。翌シーズンはシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだが、昇格はならず同シーズン限りで引退した。
引退後は2009年に1シーズンだけワシントン・ナショナルズのコーチを務めたが、現在はアトランタで少年野球のコーチを務め、恵まれない子供が野球をプレーできるように支援する活動に取り組んでいる。
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