マーブ・スロンベリー Marv Throneberry ~Marvelous Marv~

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Marv Throneberry (マーブ・スロンベリー)
(1933-1994)
Baseballer
Position:First baseman
Threw/Batted:L/L
Height:185cm Weight:86kg

Stuts

テネシーの農場で生まれたフェイとマーブのスロンベリー兄弟はメンフィスのハイスクールでは名の知れた強打者であった。兄弟にはボストン・レッドソックスから誘いが来て、フェイの方はこれに応じたのだが、マーブはこれを断り、1952年にニューヨーク・ヤンキースと契約した。

パワーはミッキー・マントル並と評され、1955年にはメジャーデビューを果たしたものの、攻守に粗い面が目立ち、1試合に出場しただけでそのままマイナーに戻って行った。

それでもマイナーでは驚異のパワーで恐れられ、1955年から3年連続でHRと打点の二冠王を獲得。これを見込まれて1958年にはメジャーに再昇格して60試合の出場機会を獲得。打率.277ながらも7HRを放って自慢のパワーをアピール。同年はワールドシリーズでも打席に立つ機会を与えられ、三振に倒れたものの世界一のメンバーに名を連ねている。

ケーシー・ステンゲルはスロンベリーの素質を高く買っていて、翌シーズンはさらに出場機会を与えられたものの、折しもヤンキースの黄金時代とあってレギュラーの獲得には至らず、スロンベリーはトレードを志願。シーズン終了後に3対3の大型トレードでカンザスシティ・アスレチックスに放出された。

このトレードは結果としてヤンキースの一方的な大儲けで終わった。なにしろロジャー・マリスがやって来たのだ。スロンベリーは最後の最後にヤンキースに多大な貢献をした。

アスレチックスでは11HRを記録したが、打率も守備力も向上が見られず今一つ伸び悩み、翌シーズン途中でボルチモア・オリオールズにトレードされたが、結局スロンベリーはスロンベリーのままで、翌1962年シーズン開幕直後、創設間もないニューヨーク・メッツにトレード。ステンゲルはスロンベリーをまだ信じていた。

フルネームのマービン・ユージン・スロンベリーのイニシャルを取ると”MET”になる。そしてメッツにヤンキースへの在籍経験がやって来たのは初めてだった。ニューヨーカーと恩師の期待に報いるようにスロンベリーはキャリアハイとなる16HRをマークし、ファンから絶大な支持を得たたまでは良かったのだが、スロンベリーは少し変わった方向へと走り始める。

最も有名な事件はシカゴ・カブス戦で起きた。豪快な長打を打って大慌てでサードへ滑り込んだスロンベリーにアウトが宣告されたのだ。二塁ベースを踏んでいないとアーニー・バンクスが抗議したのが認められたのだ。

ステンゲルは審判に詰め寄り、いくらスロンベリーが馬鹿でもベースの踏み忘れは有り得ないと猛抗議したのだが、審判に小声で何かを告げられてすごすごと引き下がった。スロンベリーは一塁ベースも踏み忘れていたのだ。この試合は8-7で負けたという。

ある試合では1試合で3失策いう醜態を晒したこともある。草野球でもファーストが3失策もしたらどやされる。このシーズン記録した守備率.921は一塁手のワーストレコードであった。

やらかしはフィールド外にも及んだ。ステンゲルの誕生パーティが開かれ、選手にケーキがふるまわれたのだが、スロンベリーにだけケーキが回ってこなかった。スロンベリーは抗議したが、ステンゲルは「落とすと思った」と言ってのけた。その後スロンベリーがケーキにありつけたのかは定かではない。

与太郎の”マーベラス・マーブ”ではあったが、彼はとてもいい奴で、自虐的なジョークを飛ばせるユーモアがあった。だから同僚もファンも彼の事が好きだった。120敗という歴史的弱さを見せながらニューヨーカーに愛されたメッツのまさに顔であったのだ。

会員5000人という大規模なファンクラブもあった。彼らは”VRAM”と大書されたTシャツでスタンドに陣取り、「クランベリーにストロベリー、そしてスロンベリーが大好き!」と大合唱した。ジョー・ネイマスはまだ居ないこの時代、スロンベリーこそシェイスタジアム一のスーパースターであった。

だが、翌1963年になると若手に出場機会を奪われて半ば干されてしまい、続く1964年はマイナー暮らしに終始し、スロンベリーは野球に見切りをつけて故郷の農場へ帰って行った。

しかし、スロンベリーはそれでも人気者であった。兄のシェイがアメリカでも指折りのドッグトレーナーとして異色の成功を収める一方でミラービールのスポークスマンに招聘され、新発売のミラーライトビールのCMに出演。

「このビールに野球でやったのと同じ事をやったら、売れなくなるだろうな」という渾身のジョークで大当たりをとり、ミラーライトビールは大ヒット。スロンベリーは子宝にも恵まれ、悠々自適の老後を過ごすことができるようになった。

晩年に至っても人気は衰えを知らず、死の直前まで少しでも多く手紙に返事を書こうと腐心していたという。1994年にガンでなくなると、マントルやステンゲルにも負けない程大きくニューヨークタイムズに訃報が載った。

メッツの伝説となったスロンベリー。今でもVRAMのTシャツを着たファンの姿がシティフィールドでは見られるという。

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