パット・マホームズ Pat Mahomes ~ある父親の物語~

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Pat Mahomes (パット・マホームズ)
(1970-)
Baseballer
Position:Pitcher
Threw/Batted:R/R
Height:185cm Weight:79kg
Relatives:
Patrick Mahomes (パトリック・マホームズ)(息子)

Stats

https://twitter.com/AviatorsLV/status/1224452351630536704

 テキサスに生まれたパットはハイスクールでは野球ほのかにもバスケットとフットボールでも優秀な選手であったが、ピッチャーは最終学年になるまでやった事がなかった。

 チームのピッチャーの怪我に伴い、強肩を見込まれてコンバートされるとめきめきと頭角を現し、アーカンソー大から野球とフットボールの奨学金をオファーされたが、1988年にドラフト6巡目でミネソタ・ツインズに指名されるとマホームズはそのままプロへの道を踏み出した。

 1992年に開幕からロースターに入ってメジャーデビュー。先発投手として3勝4敗を記録したものの、防御率5.04というぱっとしない成績であった。

 翌シーズンはマイナー落ちも経験したが、当時のツインズはあまり強くはなく、マホームズもそれなりに重宝され、1994年は先発ローテーションに入って9勝5敗、防御率4.73という成績を残している。しかし、防御率は4.73と相変わらず高く、投球回より被安打が多い。

 要はマホームズはそういうピッチャーであった。三振の取れる方ではなく、被安打も与四球も多くて決め手に欠ける。以後は谷間兼中継ぎとして最低限の仕事をこなしながら野球人生を渡っていくことになる。

 1995年のオフには息子が生まれ、後に1000登板を果たす親友のラトロイ・ホーキンスに名付け親になってもらった。

 息子が生まれて張り切るつもりだったのだろうが、翌シーズン途中にボストン・レッドソックスにトレード。

 レッドソックスではかえって成績を落とし、1997年には10試合に登板して防御率8.10という悲惨な成績になり、7月に解雇。そこへ日本からオファーが届き、横浜ベイスターズに入団した。

 当時のベイスターズは先発投手が手薄で、マホームズはこれに割って入って3勝4敗という成績を残したが、防御率は相変わらず高く4.82というものである。マシンガン打線に助けられた感は否めない。

 さらに悪いことに翌シーズンは故障し、コントロールがますます悪くなって二軍落ち。足が速いというので代走に起用されてカルトな話題を呼んだ他はチームに何も残すことができず、チームは日本一に輝いたがそれを見届けることなくシーズン途中で帰国してしまった。

 それでも日本で何か学ぶものはあったらしく、ニューヨーク・メッツと契約すると、39試合に登板して防御率3.68、さらに8勝を挙げる勝ち運を見せて存在感を増した。

 初めてのプレーオフも経験し、アトランタ・ブレーブスとのリーグチャンピオンシップでは3試合に登板して防御率1.42と奮闘したが、ワールドシリーズ進出は叶わなかった。

 ちなみに初めてナショナルリーグでプレーしたことで打席に立つ機会が与えられたが、昔取った杵柄ということか打撃は良く、通算打率.256を記録している。

 翌シーズンは登板を53に伸ばし、先発のマウンドにも立って5勝3敗としたが、防御率は5.46と怪しい物になり、ヤンキースとのサブウェイシリーズでチームが盛り上がる中、マホームズはプレーオフのロースターから外される屈辱を味わった。

 これで野球人生の運を使い切った感があり、翌年からレンジャース、カブス、パイレーツとチームを毎年変わり、パイレーツではシーズン序盤でマイナー降格。以降マイナーや独立リーグでプレーを続け、2009年まで現役を続けた。

 パットには息子が残った。パットは当初息子には最初野球をやらせ、フットボールはやらせないようにした。怪我の危険があるからだ。

 しかし、パットの意思に反して息子は父譲りの強肩でQBとして頭角を現し、テキサス工科大に進んで大活躍し、3年時には5000ヤードパサーになる快挙を達成。同年全体10位でカンザスシティ・チーフスに指名され、2年目には先発の座を掴んでプロアマ両方で5000ヤードパサーになる史上初の快挙を達成。

 翌シーズンにはスーパーボウルを制し、史上最年少のスーパーボウルMVPとなってフットボーラーの頂点を極めた。この息子こそパトリック・マホームズである。彼のあの独特のサイドスローは野球で培ったものなのだという。

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