ピート・インカビリア Pete Incaviglia ~規格外の男~

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ピート・インカビリア (Pete Incaviglia)
(1964-)
Baseballer
Position:Out Fielder
Threw/Batted:R/R
Height:185cm Weight:102kg

Stats

父親がマイナーリーガーだったというインカビリアは1982年にドラフト10巡目でサンフランシスコ・ジャイアンツに指名されたが、これを断ってオクラホマ州立大へと進んだ。

インカビリアの天性のパワーは大学で花開いた。3年時には驚異の48HRを放ち、大学通算213試合で100HR、143打点を記録。いずれも現在でも破られない大学記録である。

1968年に全体8位でモントリオール・エクスポズが指名。しかし、カリフォルニア生まれのインカビリアは寒くて弱くて英語の通じないエクスポズでのプレーを嫌がり、入団交渉は難航。結局シーズンが終わってから入団と同時にテキサス・レンジャーズに若手選手二人とトレードすることで決着がついた。

この入団劇は物議を呼び、MLBはルーキーは入団後1年はトレードをしてはいけないという規則を設けた。このルールは俗にピート・インカビリアルールと呼ばれている。アメリカ版江川事件のような話である。

マイナーを経ず直接メジャーデビューし、開幕戦にいきなり4番打者として出場。チームレコードの30HRを記録したものの、あのロブ・ディアーやこのシーズン新人王を獲得したホセ・カンセコと熾烈な三振王争いを展開し、185三振を記録して見事?に勝利している。

ようはインカビリアはそういう選手であった。三振かホームランかというバッティングで、意外性はあるが四球は少なく、足は意外に速いが守備は上手いとは言えない。20HRは計算できるが打率は精々2割5分、そして150三振は必ずついてくる。敵チームに居ると嫌だが、贔屓チームに居るとイライラするタイプだ。

以後そういう選手としてキャリアを過ごし、5年連続で20HRをマーク。しかし、その5年目のシーズンに契約切れ。契約延長を断られ、デトロイト・タイガースへ移籍した。

タイガースではわずか11HR、打率.211という悲惨な成績に終わり、翌シーズンはヒューストン・アストロズへ。打率は.266まで持ち直したものの11HRしか打てず、今度はフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した。

フィリーズではキャリアハイとなる打率.274、24HR、89打点をを打って復活途中加入ながら3割を討ったジム・アイゼンライクとともにフィリーズのワールドシリーズ進出の原動力となったものの、肝心のポストシーズンでは全く振るわず、世界一はならなかった。

翌シーズンは成績を落とし、シーズン終了後に解雇。しかも1995年シーズンは労使交渉がこじれてストライキになり、多くの選手が職にあぶれる事態となった。

球界の経済の原則として、HRを打つ選手は高くつく。つまり、長打力しかとりえのない選手はコストパフォーマンスが悪く嫌われる。そういう選手の典型というべきインカビリアはメジャーからお呼びがかからず、レンジャーズ時代の監督だったボビー・バレンタインに誘われ、当時の同僚だったフリオ・フランコと共に千葉ロッテマリーンズに入団した。

果たしてバレンタインの手腕でロッテは2位に躍進。フランコはその原動力となったのだが、インカビリアは下位打線で三振と乱闘を繰り返すばかりで全く活躍できず、人生初のマイナー(二軍)降格を経験。結局シーズン終了後にフロントと確執を作ったバレンタインと一緒にアメリカへと帰った。

フィリーズへ復帰して16HRを打ったものの、シーズン途中にボルチモア・オリオールズにトレード。以後はマイナーとメジャーを行き来しながらニューヨーク・メッツ、タイガース、アストロズとチームを転々とし、1998年を持って現役を引退した。13年のプロ生活で打ったHRは今一つ物足りない206本。やはりプロは甘くない。

引退後はマイナーや独立リーグで指導者を歴任。意外にこの男は指導者に向いているらしい。2007年には大学野球の殿堂入りを果たしている。

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