フィリー・ファナティック Phillie Phanatic ~過激にいこう~

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Phillie Phanatic (フィリー・ファナティック)
(1979-)
Baseballer?
Position:Mascot
Threw/Batted:?/?
Height:?cm Weight:?kg

フィリーズのファンは荒っぽい。というよりも、フィラデルフィアという街が荒っぽいというのが本当かもしれない。

今でも荒っぽいフィリーズファンだが、昔はもっと荒っぽかった。あまりに熱狂的過ぎて選手が動揺するほどであったという。あまり家族連れではフィリーズの試合を観に行ける雰囲気ではなかったのだ。

野球は興行である。これではいけないとフィリーズ首脳陣は考え、ファミリー層向けのテコ入れを模索した。そして目を着けたのはアメリカの反対側、サンディエゴで暴れまわっていたサンディエゴ・チキンであった。

かくして1979年、フィリー・ファナティックはお目見えした。カレッジフットボール殿堂入りを果たした往年の名将タビー・レイモンドの息子で、球団職員だったデイビットに3900ドルの着ぐるみを着せて、フィールドに放つとフィリーはたちまち人気者になった。

ATVを乗り回し、ホットドッグをバズーカでスタンドに打ち込み、相手チームを散々におちょくったと思えばブルペンで投球練習を始め、差し入れ持参で放送席にも現れる。何でもありの暴れぶりはサンディエゴ・チキンとともにマスコットのあり方を決定付けた。

お目見えから5年後、あちこちに顔を出す機会が増えた関係上、フィリーの著作権をフィリーズはデザイン会社から25万ドルで買い取ったのだが、これはフィリーズの痛恨のミスであった。最初に買っておけばたったの1300ドルだったのだ。それほどフィリーは人気があった。

だが、そんなフィリーをよく思わない勢力があるのも事実であった。とりわけトミー・ラソーダなどはフィリーを嫌っていた。そして1988年に事件が起きた。

自分がラソーダ嫌われていることを知っているフィリーはこれ見よがしに挑発した。ラソーダのユニフォームを着たぬいぐるみを用意して踏みつけたのだ。とうとう堪忍袋の緒が切れたラソーダはフィリーに襲い掛かった。マスコットを巻き込んだ乱闘というのは野球史上これくらいだろう。

その後も何度となく訴訟を起こされながらもフィリーはめげずに暴れまわっている。2004年には頭を盗まれるという事件もあったが、2006年には殿堂入り(あくまでジョークとして)を果たしている。

広島のスラィリーを始め、各地に親戚と思しき後輩が続々と現れるなど、誕生から40年を過ぎてもその影響力は絶大である。

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