レイ・ナイト Ray Knight ~荒くれ騎士~

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レイ・ナイト (Ray Knight)
(1952-)
Baseballer
Position:Third Baseman
Threw/Batted:R/R
Height:185cm Weight:83kg

Stats

ナイトはハイスクールでは野球選手としてはもとより、ボクサーとしてもゴールデングローブに出場するほどの選手であった。これが選手生活に役立つことになるとは当のナイトもまさか思わなかっただろう。

1970年にドラフト10巡目でシンシナティ・レッズが指名。近所に住んでいた同じレッズ傘下のハリー・スピルマンと金を出し合って700ドルのバッティングマシーンを買って腕を磨き、マイナーではキャッチャー以外の全ポジションを経験。

1974年にメジャーデビューを果たすが、続く2シーズンはマイナー暮らし。その間に強力打線”ビッグレッドマーシーン”を擁するレッズはワールドシリーズを2連覇するが、当然ながらナイトにはリングは贈られなかった。

1977年にようやく再昇格。ジョージ・フォスターからもらったバットで打率.261を記録して売り出すと、1979年にはピート・ローズがフィラデルフィア・フィリーズに移籍したことでようやくサードの定位置を確保。

何しろローズの後釜なので不安視されたが、打率.318、10HR、79打点を記録する大活躍を見せ、MVP投票で5位に入った。

パワーのある方ではなかったがボクサーだけに勝負強く、1980年にはレッズ史上初の1イニング2HRを記録。オールスターにも初選出され、ローズに代わるレッズの看板選手として評価を高めていったが、1981年シーズン終了後、ジョニー・ベンチをサードにコンバートすることが決まり、押し出される形でシーザー・セデーニョとの交換でヒューストン・アストロズに移籍した。

アストロズでも打率.294、6HR、70打点を記録して2度目のオールスターに選出。更にトップゴルファーであるナンシー・ロペスと2度目の結婚。妻の方が稼ぎが多い大リーガーというのはたまには居るが、ナイト級の選手ではそうはいない。いくらなんでも相手が悪い。

アストロズでも活躍する一方で右肩を痛め、これが不安視されて1984年シーズン途中に3人のマイナーリーガーと交換でニューヨーク・メッツに移籍。オフには右肩の手術を受けた。

術後の状態は万全ではなく、1985年シーズンはハワード・ジョンソンとツープラトンでの起用であったが、ナイトはたちまちのうちにメッツファンの心を鷲掴みにした。

というのも、ナイトは凶暴な男であった。ボクシングで培った闘志とパンチはメッツの荒っぽいカラーに最高にマッチした。他の誰より喧嘩早く、乱闘となれば常に先頭に立って拳を振るう。荒くれ揃いのメッツのリーダーとして身体を張るのだった。

体調の戻った1986年シーズンはナイトの野球人生のハイライトというもので、フォーム改造に取り組んで4月だけで6HRを記録する華々しい滑り出しを見せた。

そしてナイトの乱闘稼業最大の大仕事が7月に古巣のレッズとの試合であった。三塁盗塁を試みたエリック・デイビスとナイトは小競り合いになり、ナイトが右フックを食らわせたのを合図に両チーム入り乱れての大乱闘が始まった。

メッツで選手人生の晩年を過ごしていた恩人のジョージ・フォスターがこの乱闘に不参加を決め込んでチームを追われる不幸があったものの、メッツは驚異の108勝をマークしてぶっちぎりの地区優勝を達成。

プレーオフでは古巣のアストロズ相手には打率.167と振るわなかったものの、チームはボストン・レッドソックスを相手にワールドシリーズに進出。ここでナイトは最高の仕事をする。

第6戦ではビル・バックナーの伝説のトンネルの間にサヨナラのホームを踏み、第7戦では同点の8回に決勝HRを打ち、打率.391の大活躍でMVPを獲得。カムバック賞にも選ばれた。

ここからがナイトらしい。この活躍を材料に年俸アップを狙ったのだが、決裂してボルチモア・オリオールズに移ったのだ。ワールドシリーズMVPがそのまま移籍するのは史上初であった。

オリオールズでは打率.256、14HR、65打点と活躍したのだが、オリオールズは100敗近くもする弱小チームで、シーズン終了後にマーク・サーモンドと交換でデトロイト・タイガースにトレード。タイガースではファーストに回ることも多くなり、このシーズンをもって現役を引退した。

引退後は妻のナンシーのキャディをやった時期があった。しかし、キャディというのは冷静さが必要な黒子で、ナイトには全くの不向きであった。ナンシーの素晴らしい稼ぎもナイトのプライドを傷つけた。

結局解説者に収まり、1996年にはメッツ時代の監督であるデービー・ジョンソンの後任としてレッズの監督に就任。しかし、現役時代の荒くれぶりは収まらず審判に何度もたてつき、アウトカウントを間違えるなどやらかしも多く、2シーズンしか持たず解説者に戻った。

メッツとは仲がこじれたままで、2006年の世界一20周年の記念式典にも出ず、解説はずっとワシントン・ナショナルズを担当していた。2010年にはナンシーとも離婚。歳をとっても相変わらず荒くれている。

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