レイ・オルドニェス Rey Ordonez ~Oz II~

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Rey Ordonez(レイ・オルドニェス)
(1971-)
Baseballer
Position:Short Stop
Threw/Batted:R/R
Height:175cm Weight:72kg

Stats

キューバで野球選手の息子に生まれたオルドニェスは、路地裏でビールの王冠と棒切れで野球をして腕を磨き、公務員として野球をプレーするお決まりのコースを歩んだ。

オルドニエズは才能があったがそれ以上に野心があった。安定はしていても公務員として妻子を養いながら野球をする日々はあまりに退屈であった。

転機が訪れたのは22歳の時だった。アメリカのバッファローで行われたユニバーシアード夏季大会の代表に選ばれたオルドニェスは、大胆にもアメリカ代表の試合直前に会場のフェンスを乗り越えて逃げ出し、そのまま亡命した。いささか芝居がかりだが、この手口はオルドニエズで三例目であったという。

フロリダの親戚の元に身を寄せ、1993年は独立リーグのノーザンリーグでプレー。何と22球団が獲得に名乗りを上げ、抽選の末にニューヨーク・メッツが獲得。1996年にメジャーデビューを果たした。

ルーキーイヤーからショートのレギュラーに座り、打率.257、1HR、30打点、1盗塁というパッとしない成績ながら、新人王投票では5位に入った。

こんな成績で25歳のオールドルーキーが高く評価された秘密は、その魔術的なまでの守備であった。バントは上手く、三振は少ないが、打率はせいぜい2割5分、盗塁もできない。しかし、オルドニェスの守備はそれに目をつぶってもおつりが来た。いや、彼の守備を観ないのは損だとニューヨーカーは誰もが知っていた。

デビュー戦を観たオジー・スミスはオルドニェスを”後継者”と言い切った。ショートの本分は守備だと証明してくれたのが嬉しかったのは容易に想像できる。

1997年から3年連続でゴールドグラブ賞を獲得。1999年には守備率.994という信じがたい数字を残し、2000年シーズンにかけて101試合連続無失策というメジャー記録を樹立。それも、セカンドやサードのボールまで捕ってしまうのにだ。ちなみに記録を途切れさせたのは東京ドームだった。

だが、この男はラテン的に過ぎた。妻子を置いて亡命してさっさとアメリカで再婚してしまったのも、せめて二番打者で使えるようにとボビー・バレンタイン以下首脳陣が打撃改善に手を焼いたのに熱心に取り組まなかったのも、シャワールームでチームメイトと殴り合いの喧嘩をして怪我で欠場したのも、フィールドでの縦横無尽の活躍に比べてあまりに適当だ。

しかし、そんな人間臭さをメッツファンは愛した。思えばデレク・ジーターもそうだ。彼の女癖の悪さをニューヨーカーは愛した。ニューヨーカーは表向きは気取っていてもやんちゃ者が好きなのだ。

守備に力を入れる選手はグラブを大切にするが、オルドニェスは一か月も使うとさっさと交換してしまうのでも有名だった。グラブが柔らかくなるとボールをこぼすというのがオルドニエスの言い分だったが、あるいは倹約第一の母国への当てつけだったのかもしれない。いずれにしても、彼のグラブも守備も固かった。

しかし、2000年に悲劇が起きる。5月29日、ドジャース戦でF.P.サンアンジェロと交錯し、左腕を骨折して戦線離脱。ヤンキースとのサブウェイ・シリーズに出場がかなわなかった。

これ以来オルドニェスの守備には陰りが見えるようになった。魔法の杖を無くした魔法使いは単なる爺さんだが、守備の下手になったオルドニェスは単なるお調子者のキューバ人である。ファンや首脳陣からの評価も落ち、2002年には批判が頂点に達した。ロベルト・アロマーがチームにやって来たからだ。もはやアロマーの相方はオルドニェスには務まらなくなっていた。

オルドニェスも不貞腐れてチーム批判をぶちまけ、オフにマイナーリーガーとの交換でタンパベイ・デビルレイズにトレードされてニューヨークを去った。

デビルレイズとしてはオルドニェスに高い期待を寄せていたのだが、シーズン序盤に怪我で戦線離脱してこのシーズン限りとなり、サンディエゴ・パドレスと契約したものの新人のカリル・グリーンに敗れて解雇され、シーズン途中にシカゴ・カブスに拾われたものの衰えは明らかで、結局シーズン終了後には解雇。

それから2年は浪人して過ごし、2006年にはシアトル・マリナーズと契約したものの、キャンプ途中でマイナー落ちを通告され、ついにオルドニェスはグラブを脱いだ。

たった3年の輝きだったが、ニューヨーカーは今でもオルドニェスの守備を忘れていない。2013年にはキューバへの里帰りを果たして国民的英雄として大歓迎されている。

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