ロベルト・ヘルナンデス Roberto Hernandez ~旅するロベルト~

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Roberto Hernandez (ロベルト・ヘルナンデス)
(1964-)
Baseballer
Position:Pitcher
Threw/Batted:R/R
Height:193cm Weight:99kg

Stuts

https://twitter.com/whitesox/status/912723715007422466

1964年にプエルトリコで生まれ、ドミニカを経て2歳でニューヨークに移ったヘルナンデスだったが、家は貧しく、母親の病気と父親の失業が重なって一度高校を中退している。

優秀なキャッチャーだったヘルナンデスはそれでも奨学金をもらってニューハンプシャーのハイスクールに入り直し、1年遅れで何とか卒業。コネチカット大に進んで1年目からレギュラーとして活躍。

しかし、ヘルナンデスは本当はピッチャーを志望していた。チームに他にめぼしいキャッチャーが居なかったことから渋々務めていたが、新入生に後釜が見つかったことから2年目にコンバート。初登板でいきなり14奪三振を記録して華々しくデビューした。

しかし、ヘルナンデスは家庭の事情で転校を余儀なくされた。最初はサウスカロライナ大コロンビア校を希望したものの叶わず、これを見かねたコーストラル・カロライナ大のコーチが助け舟を出し、サウスカロライナ大エイキン校に紹介されて同校に移った。

エイキン校は今はDiv.IIだが、当時はNAIAに籍を置いていた。早い話が無名校だ。それでもヘルナンデスはめげずに大活躍。シーズンで94.0イニングを投げ、97奪三振を記録し、打撃の方でも19HRをマーク。チームが1986年シーズンのNAIAワールドシリーズに駒を進める原動力となった。

ひじを故障していたにも関わらずヘルナンデスの登板試合にはスカウトが何人も押しかけるNAIAとして異例の注目ぶりで、同年のドラフト全体16位でカリフォルニア・エンゼルスが指名。

マイナーで実績を重ねるヘルナンデスだったが、血行障害を起こして1989年にシカゴ・ホワイトソックスにトレード。太腿の血管を腕に移植する手術が行われた。

この手術が功を奏し、パフォーマンスが大幅に向上。同年メジャーデビューを果たし、先発とリリーフの両方で起用されて9試合に登板。

翌シーズンからは本格的にリリーバーとして起用され、43試合に登板して12セーブ。さらに続く1993年からはクローザーに座って38セーブ。

100マイル近い剛速球を武器にするパワーピッチャーで、被本塁打が多いもののここ一番での勝負強さがあり、同年のリーグチャンピオンシップでは敗退したものの4試合に登板して無失点に抑えている。

以後もホワイトソックスの守護神として三振とセーブの山を築き、1996年には72登板で38セーブを記録し、オールスターに初選出。サイヤング賞の投票で6位に入った。

以後もシカゴで君臨しつつづけるつもりだったのだろうが、翌シーズンのトレード期限ぎりぎりで3対6の大型トレードでサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍すると、ヘルナンデスの流浪の選手生活が幕を開ける。

シーズン終了後にFAでタンパベイ・デビルレイズに移ると、1999年にはキャリアハイの43セーブを記録して2度目のオールスターに選出。チームはわずか69勝しかしておらず、ヘルナンデスの存在感が窺える。

翌シーズン終了後に三角トレードでカンザスシティ・ロイヤルズに移籍したが、カンザスにも2年居ただけでFAでアトランタ・ブレーブスに移籍。以後は中継ぎに回り、毎年チームを変わるようなる。

フィラデルフィア・フィリーズ、ニューヨーク・メッツ、2006年シーズンはピッツバーグ・パイレーツに移ったものの、シーズン途中にトレードでメッツに出戻り。

翌シーズンはクリーブランド・インディアンズに移籍したものの、衰えは顕著でシーズン途中に解雇。

その後ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶと間もなくメジャー昇格を果たし、同チームで通算1000登板の金字塔を打ち立て、同年を最期に現役を引退した。実に12回の移籍を繰り返しながら積み上げた1010試合登板は歴代11位の大記録である。

背番号35はサウスカロライナ大エイキン校の永久欠番となり、同大のスタジアムと奨学金基金にヘルナンデスの名が冠されている。住居も、学校も、チームも、ポジションさえ転々としたヘルナンデスだが、これは不滅の物だ。

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