シド・フェルナンデス Sid Fernandez ~Five-0~

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Sid Fernandez (シド・フェルナンデス)
(1962-)
Baseballer
Position:Pitcher
Threw/Batted:L/L
Height:185cm Weight:99kg

Stuts

ハワイは数少ないポルトガル系の家に生まれたフェルナンデスは、ハイスクールでは初先発でいきなりノーヒッターを達成してハワイを代表する投手として名を売り、1981年にドラフト3巡目でロサンゼルス・ドジャースに指名された。

2Aで三冠王を獲得するなどマイナーで順調に実績を積み、1983年に早くもメジャーデビューしたのだが、太り過ぎでパフォーマンスが今一つ悪く、シーズン終了後にトレードでニューヨーク・メッツに移籍した。

メッツではマイナースタートだったものの、シーズン途中で昇格するとローテーションに定着して6勝6敗として売り出し、翌シーズンには防御率2.80と好成績を残しながら援護に恵まれず、9勝9敗。

しかし170.1投球回で180奪三振、被安打108を記録し、被打率と奪三振率はいずれもリーグトップ。特に被打率5.71は1907年にカール・ラングレンが記録した5.65に次ぐリーグ歴代2位の大記録であった。

50番目の州たるハワイにちなんで背番号50を背に、ドラマ”Hawaii Five-0″のテーマを出囃子にマウンドに表れ、奇妙なサイド気味のフォームから投じられる遅いが浮き上がるストレートとカーブで三振の山を築き、三振を獲れば同僚のドワイト・グッデンのKボードの向こうを張ってSボードが掲げられた。仕事の荒っぽいマクギャレット少佐より、少なくともニューヨーカーはヘルナンデスを信頼していた。

以後はメッツの左のエースにして屈指の人気選手として確固たる地位を築き、翌1986年は前半戦を12勝2敗という大活躍で折り返し、ハワイ出身者として初のオールスターに選出。同じくハワイから初選出されたチャーリー・ハフとの投げ合いが実現した。

後半はやや調子を落とし、16勝6敗、防御率3.52でシーズンを終えたが、ホームのシェイスタジアムでは防御率2.17に対しロードでは5.03という極端なものであった。

同年チームはボストン・レッドソックスを相手にワールドシリーズに進出。同シリーズではリリーフに回り、殿からチームの世界一に貢献した。

翌シーズンもオールスターに選出されたが、また太り始めて少しずつパフォーマンスを落とし、1988年には再びプレーオフに駒を進めたものの、古巣ドジャース相手に6失点を喫して敗戦投手になり、チームも敗退。以後メッツは1999年までプレーオフから遠ざかることなる。

1991年にはキャンプでひじを骨折して戦線離脱。夏に復帰したものの今度は膝を痛め、以後はこの怪我とも付き合うことを強いられる。

チームも弱体化の一途をたどり、1994年にはFAでボルチモア・オリオールズに移籍。しかしこの頃には衰えも明らかで被本塁打が大幅に増加し、翌シーズンのオールスター休みに解雇され、フィラデルフィア・フィリーズに移籍。

更に1997年にはヒューストン・アストロズに移籍し、同年をもってて現役を引退。全盛期の輝きを証明するように通算114勝96敗と大きく勝ち越し被打率6.85は歴代4位の大記録である。

引退後はハワイに戻ってホノルル市長の補佐役やスポーツセンターの経営を手掛け、マイナーでの現役復帰を画策するなど、ユニークな人生を送っている。

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