トビー・ハラー Toby Harrah ~変わり者一代~

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Toby Harrah(トビー・ハラー)
(1948-)
Baseballer
Position:Short Stop/Third Baseman
Threw/Batted:R/R
Height:183cm Weight:79kg

Stats

 上から読んでも下から読んでもハラーである。だからというわけではないだろうが、この男は大変な変わり者であった。

 ウェストバージニアの炭鉱夫の息子に生まれるが、やがて炭鉱は立ち行かなくなりオハイオに転居。当地のハイスクールでは野球の他にもフットボール、バスケットボール、陸上とマルチに活躍し、フットボールで奨学金を得てオハイオノーザン大へ進むとみられていた。

 ところが、変わり者のこの男は大学への進学を拒否して工員として働き始めた。これに気付いたフィリーズの名スカウト、トニー・ルカデッロがこれ幸いと契約を持ち掛けたが、変わり者のこの男はいい返事をしなかった。

 決め手になったのはハイスクールのコーチであった。とにかく試しにキャンプに参加してみろとやんわりと勧めると、ハラーは結局そのまま半世紀近くに渡るエピソードに溢れた野球人生をスタートさせた。1966年の事である。

 変わり者だが才能に恵まれていてめきめきと頭角を現し、1967年にマイナードラフトでワシントン・セネターズに移籍。1969年に一旦はデビューしたが、再昇格は1971年の事であった。

 当時のセネターズの監督は打撃王テッド・ウィリアムズ。球界きっての変わり者と名高いこの男は新人選手を使いたがらない監督だったが、ハラーは積極的にウィリアムズに売り込んだ。

 変わり者同士気が合ったのか、ウィリアムズはハラーを気に入って積極的に教えを授け、その甲斐あってショートのレギュラーに定着。ハラーの登場は低迷していたセネターズの明るい話題であった。

 ところがセネターズはこのシーズンを最後にテキサスに移転することが決まった。大統領が開幕戦の始球式を務める伝統あるセネターズがあろうことかテキサスへ行ってしまう。ワシントン市民が面白いはずもない。

 ヤンキースとのシーズン最終戦、8回裏に二死一塁でハラーは不穏な雰囲気の中で打席に立ったが、盗塁死でそのままイニングチェンジとなった。

 ところが、セネターズリードの9回表2アウト、俺たちのセネターズをテキサスにやってたまるかとファンがグラウンドに雪崩れ込み、そのまま没収試合という不名誉な形でセネターズの歴史は終わった。つまり、ハラーはセネターズのラストバッターである。

 ワシントン市民の抵抗空しくチームはテキサス・レンジャースとなった。ハラーは打率.259の低打率ながらもオールスターに初選出されたが、チームは100敗もし、ウィリアムズはテキサスの暑さに耐えかねて辞めてしまった。

 ハラーにとっても恩師の辞任はショックだったが、めげずにベネズエラのウィンターリーグに参加すると良い事があった。同僚になったロイヤルズのクッキー・ロハスから教えを受けて守備が上達したのだ。

 上達ぶりは半端ではなく、新監督のホワイティ・ハーゾクも含め誰もが別人かと思うほどであったという。打撃も好調で、通算3HRだったのが打率260、10HR、50打点、10盗塁と大幅にレベルアップした。

 しかし、セネターズは相変わらず弱く、ハーゾクはシーズン途中でクビになり、これまたアクの強いビリー・マーチンに落ち着いた。

 ところがハラーはやっぱり変わり者なのでマーチンとも気が合った。熱血指導を受けて思い切りを増したハラーは打撃開眼を果たし、打率.260、21HR、74打点、15盗塁の大活躍。チームも久々の勝ち越しを達成した。

 だが、マーチンはあの通りの性格なのでチームと揉めて1975年シーズン途中に解任。しかしハラーは2度目のオールスターに選出。当時はハラーのような強打のショートはセンセーショナルな存在であった。

 オフにはフィリーズのラリー・ボーワと共にショートとしては初の10万ドルプレーヤーに、3度目のオールスターにも選出され、名実ともにトッププレーヤーとなった。

 6月25日のダブルヘッダーではショートでフルイニング出場をしながら1度も守備機会無し、8月27日には後に阪急ブレーブスでプレーしたバンプ・ウィルスと2者連続ランニングホームランという珍記録を相次いで達成。変わり者一代記のセンターグラビアを飾るようなシーズンであった。

 1977年シーズンは最多記録となる4人の監督がチームを指揮する異常事態にあったが、チームはリーグ2位に大躍進。サードにコンバートされたハラーはこの原動力となり、打率.263、27HR、87打点、27盗塁の大活躍。元より定評のあった選球眼も冴えに冴え、リーグトップの109の四球を選んでいる。

 1978年には不思議な出会いがあった。ある日、カンザスの夜の街でジャンという女がハラーにナンパされた。翌日はロイヤルズとレンジャースの試合があるという。野球に詳しくない彼女は大リーガーに会えてラッキーだと思ったらしい。

 翌日、ジャンは今度はレンジャースの選手の一団と遭遇した。ハラーを探したが見当たらない。選手の一人に聞いてみると昨日はまだカンザス入りしていなかったという。ハラーは偽物だったのだ。

 縁は異なもの味なものという奴で、これが縁で本物のハラーを紹介され、二人は結婚して今でも夫婦で居る。アメリカの離婚率を考えると逆に変わり者らしいと言える。

 しかし、新婚夫婦に変わり者らしい試練が襲う。当時のレンジャースは主力をやたらにトレードする傾向があり、オフにハラーはクリーブランド・インディアンスにトレードされた。交換相手はバディ・ベル。球界きってのサード同士の奇妙なトレードである。

 トレードされた選手は大なり小なりショックを受ける物だが、ハラーは「ベルと交換なら自分も大した選手だ」とやけにポジティブであった。それにオハイオはハラーにとって事実上の故郷であり、縁者親類が多いので嬉しかったようだ。

 インディアンスでも相変わらずの活躍だったが、ベルの人気が高かったこともあってハラーの人気はいまひとつであった。

 1981年には自宅のペンキ塗りをしていて転落して負傷するという変わった事故を起こしている。ストでシーズンが中断している間に怪我は治ったのでハラーは運も良かったのだ。

 インディアンスでは悪戯者としてのエピソードがたくさん残っている。有名なのはゲイロード・ペリーに仕掛けた悪戯だ。ペリーはイニング間の投球練習を利用してに得意のスピットボールの仕込みをしていた。そこへ後ろからハラーが悪戯用の痒くなる粉をかけたのだ。

 普段自分がボールにしていることをやられたペリーは痒くて大慌てし、両チームの選手は大笑いであったという。

 またある時にはマイク・ハーグローブのズボンにこっそりカミソリで切れ目を入れたこともある移動バスに座ったところでズボンが一気に破れるという悪戯だ。

 ところが神経質なハーグローブには冗談が通じず怒り出し、他の選手に疑いをかけて殴りかかろうとしたため、慌ててハラーが罪を認めてこの悪戯は後味悪く終わった。

 1980年には奇人として名高いジョー・シャボニューがデビュー。二人は当然のように気が合い、シャボニューはパフォーマンスを繰り返しつつ新人王を獲得したが、怪我で間もな湯フォームを脱いだ。ハラー程の強運ではなかったわけだ。

 こんな調子でチームに馴染んでいき、1982年には初の打率3割をマークし、6年ぶりのオールスターに選出。ようやくインディアンスファンに認められたが、オフには不幸な事故が立て続けに起きた。

 2月19日、怪我をも厭わずと壁を塗り替えた家が火事で全焼した。その翌日、ハラーの父親が交通事故で命を落とした。そのうえ開幕直後にデッドボールで負傷して欠場。

 流石のハラーも成績を落としてオフにニューヨーク・ヤンキースにトレード。ロイ・スモーリーとツープラトンで起用されたが、成績を大きく落としてしまい、1シーズン限りで古巣のレンジャースへトレードされた。

 レンジャースでは意表を突いてセカンドで起用されて息を吹き返した。8月6日のオリオールズ戦では1試合3本の満塁ホームランが飛び出す最多記録の1本を打つ久々の珍記録を達成。

 1986年シーズン限りで現役を引退。これだけエピソードがありながら、プレーオフにだけはとんと縁のないやっぱり変わったキャリアであった。

 引退後はマイナーでコーチを務め、1992年途中にボビー・バレンタインの後を引き継いでレンジャースの監督に就任。

 1シーズンで解任になったが、1996年からは因縁のバディ・ベル監督に誘われ、インディアンスのコーチに就任、ベルに付き従ってタイガース、ロッキーズと渡り歩いた。

 その後はタイガースの巡回コーチとして傘下チーム巡回指導する日々だったが、肝心のタイガースは打撃面で伸び悩み、ジム・リーランド監督は頭を抱えていた。

 そこでトニー・ラルーサがリーランドに知恵を授けた。二人打撃コーチを置けばコーチ葉負担が減り、選手に手が回りやすいというのだ。ラルーサはこの試みで成功を収めていた。

 かくして正規のコーチであるロイド・マクレンドンに次ぐもう一人の打撃コーチとしてハラーが非公式ながらシーズン途中に就任した。結果タイガースの打撃は劇的に改善し、地区優勝を達成した。

 翌シーズンは正式にコーチになったが、オフのリーランド退任に伴い隠居を決意。今はテキサスで夫婦仲良くアンティークショップを経営している。この商売は野球と同じで何が出てくるか分からないのでエキサイティングだという。

 OPSが高く、守備が上手く、セイバーメトリクスの観点から見ると素晴らしく優秀だが、何分時代が古いので過小評価されており、殿堂入りは果たせなかった。

 これを自ら評して曰く「スタッツはビキニの女。全部は見せてくれない」とどこまでも変わり者なこの男、2009年にはレンジャースの殿堂入りを果たしている。

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