ウォーリー・ムーン Wally Moon ~Moon Shot!~

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Wally Moon(ウォーリー・ムーン)
(1930-2018)
Baseballer
Position:Outfielder

Threw/Batted:R/L
Height:183cm Weight:76kg

Stuts

教育者の両親の間に生まれ、カレッジフットボールの名将、ウォレス・ウェイドにちなんでウォレスと名付けられたムーンだったが、フットボールではなく野球を選んだ。

ワイルドに過ぎる顔に似合わぬインテリで、テキサスA&M大学から大学院へ進み、その片手間にマイナーリーグでプレーしていた。1954年には大学院を卒業して修士になったが、その一方でセントルイス・カージナルス傘下の3Aで3割を打っていたのだから大したものだ。

卒業して野球に専念しようと張り切っていたのだが、好成績にも関わらずメジャーではなくマイナーのキャンプへの参加を通告されたため、これを拒絶。なんと単身カージナルスのキャンプ地へ乗り込み、キャンプに参加させなければ野球を辞めると首脳陣に迫った。

顔が怖かったからというわけではあるまいが、首脳陣はこの脅し同然の要求に応じ、ムーンは強引にメジャー昇格を果たした。そして脅しただけのことはあってめきめきと頭角を現し、開幕戦のスターティングメンバーに2番センターで名を連ねたのだった。

だが、ファンはこのムーンの抜擢が不満だった。長年カージナルスのレフトを守り、のちに殿堂入りを果たすイーノス・スローターが押し出される形でヤンキースへとトレードされたからだ。

ブッシュスタジアムに詰めかけたファンが「スローターを出せ!」と罵声を浴びせかける中、ムーンは初打席をホームランで飾り、口の悪いファンを大いに後悔させたのだった。

その後も打ちまくって打率.304、12HR、76打点、18盗塁の大活躍を見せ、ハンク・アーロン、アーニー・バンクス、NBAでもプレーしたジーン・コンレーら錚々たる面々を押しのけ、得票率71%で新人王を獲得。たちまちカージナルスの顔に上り詰めた。

1957年には24HRを放ってオールスターに初選出。打撃もさることながら強肩と鋭い打球判断を利して守備でも目覚ましい働きを見せたのだが、翌シーズンは故障で108試合、打率.238という不本意なシーズンに終わり、シーズン終了後にこれまた故障で低迷していたジーノ・シモリとの交換で、かつて西鉄ライオンズでプレーしたフィル・ペインとともにロサンゼルス・ドジャースへとトレードされた。

だが、このトレードは上手く行った。ムーンもシモリも新天地で息を吹き返したのだ。特にムーンの活躍は目覚ましかった。

だが、何も問題がないわけではなかった。当時まだドジャース・スタジアムは建設中で、ドジャースはフットボール用のメモリアル・コロシアムに本拠を構えていたのだ。写真の通り大変歪なレイアウトになっていた。ライト側は440フィートもあるのに対し、レフト側はわずか251フィート。その代り高さ42フィートもあるフェンスが張られている。

ムーンはどうプレーしたらいいのか悩み、親友にして師であるスタン・ミュージアルと相談し、レフト方向へフライ性の打球を飛ばすことにした。

この作戦が見事に当たった。フラフラと上がった打球がレフトフェンスを越えればホームラン。越えなくてもフェンスに当たり、足の速いムーンにかかれば長打になる。

かくしてデューク・スナイダーの前を打つ3番打者として打率.302、19HR、74打点、15盗塁をマークし再ブレイク。オールスターに返り咲き、MVP投票では4位に入った。

特に三塁打はリーグ最多の11を記録。おりしも宇宙開発競争の真っただ中で、ムーンのレフト方向のフライは”ムーンショット”の異名でロサンゼルスの新名物となった。ニューヨーク・メッツが「メッツの優勝より先に人類は月に行く」というジョークを滑り込みで破る実に十年前の話である。

同年はシカゴ・カブスを迎え撃ってワールドシリーズにも進出し、最終戦となった第6戦ではホームランも打ち、復活のシーズンを世界一の栄誉で締めくくったのだった。

その後も色々な意味でドジャースの顔として打ちまくり、翌1960年にはゴールデングローブ賞を獲得。1961年はキャリアハイで、打率.328、17HR、88打点、出塁率.434はリーグトップという輝かしい物であった。

ところが翌シーズン、ドジャーススタジアムの完成で慣れ親しんだメモリアルコロシアムを離れると大きく成績を落として控えに回るようになり、1963年、1965年の世界一のメンバーには名を連ねたものの往時の輝きはなく、3度目の世界一を花道に現役を引退した。

引退後は大学のアスレチックマネージャーやマイナーの監督を務めたほか、トレードマークの眉毛を武器に各種イベントに出演してタレントとしても活動。

2017年の開幕戦ではトミー・ラソーダと一緒に始球式を務めるなど、晩年まで元気な姿を見せていたのだが、2018年2月9日に87歳で世を去った。きっとロサンゼルスの名物男は月へ行ったのだろう。

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