ウェス・パーカー Wes Parker ~Mr. Steady~

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Wes Parker (ウェス・パーカー)
(1989-)
Baseballer
Position:First Baseman
Threw/Batted:L/B
Height:185cm Weight:89kg

Stats

パーカーの父親は戦争景気に乗じて爆弾工場を興し、戦後はキッチンシンクの工場に転換して財を成した富豪で、パーカーは向かいにゲイリー・クーパーが住んでいるハリウッドの豪邸で何不自由なく育った。

ハイスクールでは左利きながらフットボールのQBとしても活躍。クレアモント・マッキーナ大学からUSCへ進み、医者を志したこともあったが断念し、セミプロでのプレーを経て1962年に23歳でロサンゼルス・ドジャースと契約した。

1964年にはメジャーデビューを果たし、外野を中心にプレー。外野の守備も上手かったのだが、1965年には真の定位置であるファーストに定着。打率.238、8HRと非力ながらも芸術的守備で信頼を勝ち取り、チームのワールドシリーズ進出に貢献。ミネソタ・ツインズを迎え撃ってのワールドシリーズでは打率.304をマークし、世界一のタイトルを初めて西海岸にもたらした。

オフには医者の勧めでウェイトトレーニングに取り組んでパワーアップを図り、見事成功して打率.253、12HRと大幅に改善。しかし、連覇を狙うワールドシリーズではボルチモア・オリオールズを前に昨年ほどの活躍ができず、連覇はならなかった。

これを反省してデューク・スナイダーに師事。金持ちのボンボン故に無欲すぎることを看破され、今度はメンタルの改善に着手。これがはまって1967年は打撃の方は今一つながら、初のゴールドグラブ賞を獲得。以来毎年選出され続けた。

ファーストとしては非力に過ぎたが、足が速くて小技が効き、地元出身とあって人気者であり、そして芸術的守備力がパーカーにはあった。”Mr. Steady”(ミスター安定)という堅実極まるニックネームを頂戴し、ドジャース黄金時代の立役者として華々しくミットを振るうのだった。

立場が人を作るということか、打撃の方も徐々に改善され、1970年には打率.319、10HR、11打点。リーグトップの47二塁打を打ち、サイクルヒットまで達成する大活躍でMVP投票では5位に入り、チームMVPに選ばれた。

以後は.280近くは打てるようになり、選球眼に磨きをかけて.350前後の高い出塁率をマーク。相変わらず毎年ゴールドグラブ賞に選ばれ続けるパーカーだったが、6度目のゴールドグラブ賞を獲得した1972年、32歳の若さにして引退を表明した。

若いうちに引退して好きなことをやりたいというのが理由であった。ボンボンならではの引き際の良さであろう。

翌シーズンはシンシナティ・レッズの解説者を務めていたのだが、オフに日本からオファーが届き、ドジャースに頼んでFAにしてもらって南海ホークスと契約した。名うての貧乏球団の南海ながら、年俸は奮発して実に8万5千ドル。パーカーはこの稼ぎで家のローンを完済したという。

海外旅行が好きだったパーカーにとって、金を貰って海外で野球をプレーするのはおいしい話であった。3割を打ち、ダイヤモンドグラブ賞を受賞して本場の面目を十二分に施したのだが、旅行と住むとでは話が違う。徐々に英語の通じない暮らしが嫌になり、シーズン終盤に帰国。これを持って本当に引退した。

映画好きでかねてから興味があったことから引退後は俳優業にも挑戦。更にドジャースのコーチを経て現在はOB会の会長に収まっている。

2007年にはオールタイムゴールドグラブ賞に選ばれる栄誉を得た。選ばれたメンバーで唯一殿堂入りを果たしていないが、これが自分にとっての殿堂入りだとご満悦だという。

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