アルヴィン・ロバートソン Alvin Robertson 〜Thief〜

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Alvin Robertson(アルヴィン・ロバートソン)
(1962-)
Basketballer
Position: Shooting Guard
Collage:Arkansas
Height:190cm Weight:83kg
Relatives:
Tyrell Johnson(ティレル・ジョンソン)(息子)
Stats

https://twitter.com/jkubatko/status/1229798368249028608

スティールというのはダンクよりは簡単そうに見えるが、やってみればそれは大間違いだと痛感する。あれは特別な才能が要る。ロバートソンには特別な才能があり、アーカンソー大のスティールの記録をぶっちぎりで塗り替えた。そしてロス五輪の代表に選ばれ、金メダルを獲得している。

1984年に全体7位でサンアントニオ・スパーズ入り。ルーキーイヤーから控えながら平均1.7スティールを記録し、翌1985-1986シーズンには平均17.0得点、6.3リバウンド、ダントツのリーグトップとなる驚異の3.7スティールを記録。MIPと最優秀守備選手のタイトルをダブル受賞し、オールスターにも初選出された。

1986年2月18日にはフェニックス・サンズを相手に20得点、11リバウンド、10アシスト、10スティールを記録してネイト・サーモンドに次ぐ史上2人目となるクワドラプルダブルを達成。

後にデビッド・ロビンソンとアキーム・オラジュワンもクワドラプルダブルを達成したが、ガードで達成したのも、スティールを入れて達成したもの今の所ロバートソンだけである。異次元のスティール技術からロバートソンには”Thief”の異名がついた。

当時のスパーズは今では想像もつかないような弱小チームで、ロバートソンはその中で4回オールスターに選ばれた唯一のスタープレイヤーというべき存在であった。危ない時はロバートソンに頼めばボールを盗んで来てくれる。当時のスパーズはそういうチームだった。

しかし惜しむらくは、ロバートソンは天下の大泥棒ではあっても義賊ではなかったことだ。スティール王3回という輝かしい成績の一方で気性がすこぶる荒かった。チーム内でもいざこざを起こす。ディフェンスを重んじるがそれ以上に規律を重んじるラリー・ブラウンHCとグレッグ・ポポビッチにとっては、あまり歓迎できる選手ではなかった。

1988-1989シーズンも3.0スティールを記録したものの、3年続いたオールスターへの選出が途切れ、チームも21勝という散々なものに終わった。

しかし、スパーズには明るい話題があった。1987年の全体1位で、海軍兵学校を経て海軍士官として5年の軍務につくはずだったデビッド・ロビンソンが特例で2年で除隊を許されてチームに合流できる運びになったのだ。

疑う余地なきスタープレイヤーであり、人間の鏡であるロビンソンを中心にチームを作り直すことをブラウンは決意した。そうなれば荒くれ者のロバートソンは火種になるのは目に見えている。オフにグレッグ・アンダーソンと一緒にテリー・カミングスとのトレードでミルウォーキー・バックスへ放出された。つまり、スパーズは”大泥棒”から”提督”へと看板を取り換えたのだ。

バックスでも相変わらずボールを盗りまくったが、同シーズンのオフには妻へのDVで1ヶ月の収監を言い渡されている。息子がジョンソン姓なのはそういうことだ。

規則正しい刑務所暮らしでコンディションが良くなったのか、1990-1991シーズンはスティール王とオールスターに返り咲き、二人目の妻を迎えたまでは良かったのだが、バックスでも結局気性が治ることはなく、1992ー1993シーズン途中にオーランド・ウーリッジとのトレードでデトロイト・ピストンズにトレード。

荒くれ揃いのピストンズは肌に合ったのだが、オフに今度はデンバー・ナゲッツにトレード。しかし、背中を負傷して結局デンバーではプレーすることはなく、2シーズンの浪人暮らしを経て1995-1996シーズンに創設したばかりのトロント・ラプターズと契約。

ラプターズの記念すべき初得点を記録するなど、ブランクにもかかわらずスターターとして頑張ったものの、故障と加齢で身体の衰えが顕著で、結局このシーズンを持って現役を引退した。

都合10シーズンしかプレーしなかったにもかかわらず通算2000スティールを達成。通算平均2.7スティールは今尚破られない大記録であり、2桁スティールを4度決めたのもロバートソンだけである。

しかし、ロバートソンは素行が悪すぎた。引退後も何度となくDV騒ぎや児童買春疑惑など事件を起こし、大学からもチームからも顧みられず寂しい第二の人生を送っている。

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