ブラッド・ドアティー Brad Daugherty ~Cavalry arrives!~

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EltoBrad Daugherty(ブラッド・ドアティー)
(1965)
Basketballer
Position:Center
Collage:North Carolina
Height:213cm Weight:111kg

Stuts

NASCARというモータースポーツがアメリカにはある。いかにもアメリカ人が考えそうな、エキサイティングで楽しいレースだ。ノースカロライナのシャーロットが中心地である。

ノースカロライナ生まれのドアティー少年も果たしてNASCARに夢中になった。”キング”ことリチャード・ペティの駆るカーナンバー”43″の青いプリマス・スーパーバードが彼の憧れであった。

とはいえモータースポーツは金がかかる。それにNASCARは南部の白人のスポーツだ。裕福とは言えない大柄な黒人の割って入れるような世界ではなかった。

ドアティーはその代わりバスケットボールの選手として華々しく活躍した。ハイスクールで州王者に輝き、地元のノースカロライナ大に進学。当時の同大はディーン・スミスHCの下黄金時代を築いていた。

二年上にサム・パーキンス、一年上には神様マイケル・ジョーダン、一年下にはケニー・スミス、その他NBAクラスの選手が佃煮にするほど居た。ドアティーはその中に割って入り、1年目からスターターとして華々しく活躍し、いきなりオールアメリカンに選ばれている。

以来同大史上最高のビッグマンの地位をほしいままにし、3年時にはAPランキング1位にチームを引っ張り上げ、1986年に全体1位でクリーブランド・キャバリアーズに指名された。

当時のキャブスは8年連続の負け越しを喫していた名うての駄目チームで、このシーズン大胆なチーム改革を企てた。その第一弾がチームの中心であったロイ・ヒンソンをフィラデルフィア・76ersに放出してまで指名権を獲得したドアティーであった。

キャブスは更に全体8位でロン・ハーパーを指名し、全体25位でダラス・マーベリックスが指名したマーク・プライスもトレードで獲得。更に昨年の2巡目指名で、八百長疑惑の裁判で揉めてチーム入りが遅れたホットロッド・ウィリアムズも合流。かくしてクリーブランドに騎兵隊が到着した。

ドアティーは1年目からチームの中心として立ち回り、平均15.7得点、8.1リバウンドの活躍を見せ、ハーパー、ウィリアムズと三人一緒にオールルーキー1stに選ばれる快挙を達成。

翌シーズンは都合5回選出されるオールスターに初選出され、長らく続いたチームの負け越しを9年でストップ。プレーオフに3年ぶりにチームを導いたが、先輩ジョーダン率いるシカゴ・ブルズの前に敗れ去った。

以来このチャリティーにも熱心な人望篤いカーマニアは、20得点10リバウンドを期待できるスタープレイヤーとしてキャブスを引っ張り、ブルズ最大のライバルとしてNBAの黄金時代を盛り上げた。

1988年には同じくカーマニアのラリー・ナンス・シニアがチームに合流。同好の士と仲良くフロントコートを固めるが、ブルズの壁はどこまでも厚く、結局ファイナルには進出のかなわないまま1993-1994シーズンを最後に背中の怪我で28歳の若さで現役を引退した。

僅か8年のキャリアであったが、通算10380得点、5227リバウンドは長きに渡ってチームレコードであった。得点は2008年3月にレブロン・ジェームズが、リバウンドはシーズンが変わって11月にジードルーナス・イルガウスカスが塗り替えたが、実に四半世紀もこの”騎兵隊長”の記録は破られなかった。

引退後は趣味と実益を兼ねてカーディーラーのビジネスを始め、バスケットだけでなくNASCARの解説者としても活動。バスケットとビジネスで金持ちになったドアティーはついにサーキットに活動の場を広げ、下位クラスのオーナーになったのを足掛かりに2008年にNASCARのチームを買収して”JTG Daugherty Racing”のオーナーに就任。

以来下位チームながらも元気にマシンを走らせてご機嫌だが、キャブスの永久欠番となった”43″はカーナンバーに使えずにいる。というのも”43″は憧れのペティが引退した後も自分のチームで使っているのだ。しかし、それならドアティーも本望だろう。

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