Chuck Daly (チャック・デイリー)
(1930-)
Basketballer
Position: Coach
Collage: Bloomsburg
Height:188cm Weight:82kg
Stuts
ペンシルバニアに生まれ、当地のハイスクールでバスケットボール選手として活躍したデイリーは地元のブルームスバーグ大へ進んでプレーしたが、同大はDiv.IIとあってプロには全く縁がなく、卒業後に2年間兵役に就いた後、地元のハイスクールでコーチになった。
ハイスクールで8年間コーチを務めて111勝70敗という成績を残すと、その手腕を認められて1963年にデューク大学のアシスタントコーチに就任。デイリーの尽力もあって同大は2度に渡ってアトランティックコーストカンファレンスを制し、NCAAトーナメントでファイナル4まで残る大活躍。
これを買われて1971年にはペンシルバニア大のHCに招聘されると、チームはたちまちのうちに強くなり、就任からなんと4年連続でアイビーリーグを制覇。1978-1979シーズンからはフィラデルフィア・76ersのアシスタントコーチに就任し、とうとうNBAまで上り詰めた。
76ersで無難に務めていたのだが、1981-1982シーズン途中、低迷を極めてこのシーズン2人目のHCを解任したクリーブランド・キャバリアーズから3人目のHCとして白羽の矢が立った。
こんなチームを預けられたのではさすがのデイリーにも手の打ちようがなく、9勝32敗という惨憺たる成績でシーズン終了後にお役御免となり、翌シーズンはフィラデルフィアに帰って解説者として過ごした。
ところが今度はデトロイト・ピストンズからHC就任の要請があった。当時のピストンズと言えばチーム史上2シーズン続けて勝ち越したことがなく、6シーズン続けて負け越しているどうしようもない弱小チームであったが、デイリーはこの要請を引き受けた。
ここでしくじればもはやデイリーにHCの要請は来ないところだが、デイリーはこのラストチャンスを見事ものにした。就任早々チームをプレーオフに進出させたのだ。
デイリー率いる凶暴さと屈強さで知られた”Bad Boys”はたちまちのうちにNBAを席巻し、1988-1989シーズンには悲願のファイナル初制覇。更に翌シーズンも制して連覇を達成した。まだ若く、スタンドプレーの抜けないマイケル・ジョーダンを”ジョーダン・ルール”で無理やり抑え込む見事な悪役ぶりは、90年代初頭のNBAを代表する名シーンだろう。
だが、チーム内には段々と不協和音が響くようになり、3連覇を狙う1990-1991シーズンもカンファレンスファイナルまでは進出したものの、雪辱を狙うシカゴ・ブルズとジョーダンの前に屈辱のスイープ。
最終戦ではほぼ敗北の決定した試合終盤にベンチに下げられた主力選手たちが次々と会場から立ち去り、デイリーとバッドボーイズの時代は実に後味悪く終わった。デイリーは翌シーズンも一応HCを務めたものの、もはやピストンズにかつての力はなく、シーズン終了後にデイリーはチームを去った。
だが、思いがけずデイリーに大舞台が巡ってきた。時は1992年、バルセロナオリンピックのバスケットボールはプロ選手の出場が解禁され、アメリカ代表として錚々たるメンバーが集められたのだが、このスター軍団を率いるHCを誰にするのかという難題が持ち上がった。
そこでアイビーリーグの秀才から、反則上等のバッドボーイズに至るまでまとめ上げてきた経歴を持ち、丁度身体の空いていたデイリーが選ばれた。デイリーは”ドリームチーム”を見事に率い、圧倒的強さで金メダルを獲得。銅メダルに終わったソウルの雪辱を果たしたのだった。
その後はニュージャージー・ネッツとオーランド・マジックのHCを務めて一定の成績を収めたのだが、1998-1999シーズンを持ってコーチ業を引退。1997年には連覇に因んで背番号”2″がピストンズの永久欠番となり、2004年には殿堂入りを果たすなど、幸福な老後を過ごしていたが、2009年5月9日、膵臓がんで世を去った。
没後の2010年にはドリームチームが殿堂入りし、デイリーは2回目の殿堂入りを果たした。
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