デル・カリー Dell Curry ~蜂の一刺し~

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Dell Curry(デル・カリー)
(1964-)
Basketballer
Position:Shooting guard

Collage: Virginia Tech
Height:193cm Weight:86kg
Relatives:
Stephen Curry(ステフィン・カリー)(息子)
Seth Seth(セス・カリー)(息子)

Stuts

カリーは有望な選手だったが、守備に難があった。だがハイスクールのコーチに徹底してシュートを磨くよう指導され、これが功を奏して1982年にはオールアメリカンに選ばれる。
更には野球にも取り組み、両方で州王者になる大活躍。1982のドラフト37巡目でテキサス・レンジャースに指名を受けたが、これを断って地元のバージニア工科大に進学した。

大学では1年目からスターターとなり、2年続けてNITに進出。さらにその後は2年続けてNCAAトーナメントへ進出。特に最終学年となる1985-1986シーズンの活躍は華々しい物で、平均24.1得点、3.8アシスト、6.8リバウンド、2.6スティールという好成績でメトロカンファレンスのMVPを獲得。

ロングシュートに強みを見せていたカリーだったが、当時のNCAAではスリーポイントゴールのルールはまだ導入されていたなかった。導入はカリーが卒業した翌年の1986-1987シーズンからのことである。それでも大学歴代2位となる通算2385得点を稼いでいるのだから凄い。

大学でも野球をプレーし、1985年には14巡目でボルチモア・オリオールズに指名されているが、1986年に全体15位でユタ・ジャズに指名されてこちらを選んだ。

ルーキーイヤーは先発0ながらも67試合に出場し、平均4.9得点をマーク。翌シーズンはクリーブランド・キャバリアーズへ移籍するとさらに成績を伸ばし、10.0得点、1.9アシスト、1.2スティール。シーズン終了後に新設のシャーロット・ホーネッツにエキスパンションドラフト1巡目で指名されると、カリーは新天地で輝きを増すことになる。

新設球団だけあってホーネッツはチーム全体が未熟だったが、有望な選手が揃っていた。同じくエキスパンションドラフトでやってきたマグシー・ボーグスにリッキー・グリーン、ラリー・ジョンソン、アロンゾ・モーニングといった面々である。

その将来性を高く買われて”フューチャー・ブルズ”と称されたチームは徐々に成長していく。カリーはどこからでもシュートを決められる技術を部位に、短いプレイタイムで一気に得点を稼ぐシックスマンとして高い評価を獲得。スリーポイント成功率は毎シーズンのようにリーグトップ10にランクインしている。

1993-1994シーズンには先発0ながらキャリア唯一の全試合出場を達成し、平均16.3得点、3.2リバウンド、2.7アシスト、1.2スティールの好成績でシックスマン賞を獲得。カリーのスリーポイントラインの後ろからの援護射撃もあって、チームもぽつぽつとプレーオフに顔を出せるようになり、ホーネッツはまさに全盛期を謳歌していた。

だが、ホーネッツは結局ブルズにはなれなかった。有望選手たちは櫛の歯が抜けるように一人また一人とチームを去って行き、チーム成績も伸び悩むようになっていく。

そんななかでもカリーはホーネッツで頑張った。年齢的には下り坂ながらスターターも務めるなど、いぶし銀のベテランとして苦しいチームを盛り立て続けたが、1997-1998シーズン終了後にミルウォーキー・バックスに移籍。創設メンバーとして最後までチームに居残ったのがこのカリーであった。

移籍初年の1998-1999シーズンは短縮シーズンながらリーグトップとなるスリーポイント成功率47.6%を記録したが、シーズン終了後に今度はトロント・ラプターズに移籍。

ラプターズでは時々スターターも務めるなど年齢を感じさせない活躍を見せたが、37歳になる2001-2002シーズンをもって現役を引退した。

引退後の2007-2008シーズンにシャーロット・ボブキャッツのコーチに就任が発表されたが、なんと開幕前に辞任。息子のバスケットの試合に顔を出したいからというのが理由であった。

だが、仕事を放り出す値打ちはあった。二人の息子、ステフィンとセスはいずれもNBAでプレーするに至った。特にステフィンの活躍ぶりについては説明は要らないだろう。

現在は解説者を務めるカリー。ホーネッツで積み重ねた701試合、9839得点、929スリーポイントゴールはいずれもチーム記録である。

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