ドニエル・マーシャル Donyell Marshall ~ DMarsh~

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Donyell Marshall (ドニエル・マーシャル)
(1971-)
Basketballer
Position: Foward
Collage:Connecticut
Height:206cm Weight:98kg

Relatives:
Lenny Moore (レニー・ムーア)(大おじ)

Stuts

プロフットボール殿堂入りを果たした50年代のNFLを代表するRB、レニー・ムーアを大叔父に持つマーシャルはバスケットボールに才能を発揮し、コネチカット大に進学。1年目からスターターの座を掴んで活躍し、3年目の1993-1994シーズンには平均25.1得点、8.9リバウンド、3.3ブロックをマークしてカンファレンスMVPとオールアメリカンを受賞。同年全体4位でミネソタ・ティンバーウルブルズに指名された。


ルーキーイヤーの開幕当初は成績が振るわず、にいきなりゴールデンステート・ウォリアーズにトレードされたものの、めげずにスターターへ昇格し、72試合に出場して平均12.6得点、5.6リバウンドを記録してオールルーキー2ndに選出されて面目を施したが、これは後の流浪の選手人生を暗示していた。


3ポイントの精度が高く、アウトサイドからも攻撃に参加できるスコアラーで、ウォリアーズではフォワード陣の相次ぐ移籍もあって年々存在感を増し、1999-2000シーズンには平均14.2得点、10.0リバウンドという活躍を見せたが、シーズン終了後に四角トレードでユタ・ジャズへと移籍した。


ジャズではジョン・ストックトン、カール・マローンのゴールデンコンビを全方位から援護し、自身初のプレーオフも経験したが、ファイナル進出には及ばず、2001-2002シーズン終了後にFAでシカゴ・カブスへ移籍した。


ブルズでも安定した活躍を見せていたが、調子を落とした2シーズン目の2003-2004シーズン途中に今度はトロント・ラプターズにトレード。


ラプターズでは再び安定感を取り戻し、2005年3月13日のフィラデルフィア・76ers戦では得意のシュートが冴えに冴え、なんと12本者スリーポイントを記録。これはコービー・ブライアントと並ぶ当時の最多タイ記録で、2016年にステフィン・カリーが13本を記録してトップは譲ったが、今でも歴代2位の大記録である。


シーズン終了後にクリーブランド・キャバリアーズにトレード。キャブスは若きレブロン・ジェームズを擁して久々のプレーオフ進出を果たし、続く2006-2007シーズンはマーシャルの援護射撃もあって悲願のファイナルに駒を進めたが、サンアントニオ・スパーズに阻まれて制覇ならなかった。


翌シーズンはチームに故障者が続出し、チームは大刷新を決断。11人が絡む三角トレードが敢行され、マーシャルはシアトル・スーパーソニックスへ移籍したが、思うような成績は残せず、チームがオクラホマへ移転するのを待たずにウェーバーに。


翌シーズンは8つ目のチームとして因縁の76ersと契約したが、もはや衰えは明らかで、同年を持って現役を引退した。


引退後は短期間解説者を務めたのち、カレッジのコーチに転向。あちこちの大学のアシスタントコーチを歴任し、2016-2017シーズンにはとうとう縁あるコネチカットのセントラルコネチカット州立大のHCに就任。現在に至るまで務めている。

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