エルトン・ブランド Elton Brand ~Nice Guy~

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Elton Brand(エルトン・ブランド)
(1979-)
Basketballer
Position:Power Forward
Collage:Duke
Height:203cm Weight:124kg

Stuts

ブランドはハイスクール時代からニューヨークでは名の知れたスタープレイヤーだった。同世代のラマー・オドムやロン・アーテストといった将来のNBAプレイヤーを向こうに回して州のMr.バスケットボールを2年連続で受賞するとともに、チームも2年連続で州王者に導いた。

そして進学先がデューク大学である。どんなにバスケットの才能があってもアイビーリーグにはそれだけでは入れない。まさにブランドは超人であったのだ。

1980年以来デューク大を率いる”Coach K”ことマイク・シャシェフスキーHCに率いられ、ブランドに加えてシェーン・バティエ、トラジャン・ラングトン、コーリー・マゲッティ、ウィリアム・エイブリーという錚々たるメンバーを揃えた同大は、ブランドの加入した1997-1998シーズン早々NCAAトーナメントでエリートエイト、更に翌シーズンはファイナル進出を達成するアイビーリーグとは思えない成績を残している。

デューク大の強さには一つ裏があった。シャシェフスキーはNBAドラフトへのアーリーエントリーを認めていなかったのだ。大学を中退してNBAで成功できなかった時の事を考えての親心だが、これが結果としてチームの戦力充実に繋がったのだ。

しかし、これほどのメンバーをいつまでも大学に繋ぎ留めておくことはできず、ブランド達は同大史上初のアーリーエントリーを認められ、ブランドは1999年の全体1位でシカゴ・ブルズに指名された。ラングドンが11位、マゲッティが13位、エイブリーが14位で指名されたのだから、デューク大はまさしく黄金世代を擁していたことになる。

当時のブルズはマイケル・ジョーダンの引退で一気に弱体化し、短縮シーズンを13勝37敗という悲惨な成績で終えた直後であった。ポジションは違うもののブルズの次代を担うスター候補としてブランドは将来を嘱望された。

果たしてルーキーイヤーから平均20.1得点、10.0リバウンド、1.6ブロックという華々しい成績を収めてスティーブ・フランシスと新人王をダブル受賞したのだが、チームは17勝65敗という昨シーズン以上の悲惨な成績に終わった。

この203センチの短躯ながらも長い腕と強靭なフィジカルに恵まれ、攻守に隙が無く、いつも練習に一番乗りでやって来る知的なナイスガイにブルズの未来がかかっているとシカゴ市民は皆信じていたのだが、ブルズの成績は一向に伸びなかった。

そして痺れを切らしたブルズフロントは思い切った手を打つ。2001年のドラフト当日、ロサンゼルス・クリッパーズが全体3位で指名したタイソン・チャンドラーと、ブライアン・スキナーとの交換でブランドをトレードに出したのだ。

このトレードはブルズの失敗であった。チャンドラーは活躍したことはしたがブランドには及ばなかった。一方、創設以来弱小チームの代名詞として悪名高かったクリッパーズはブランド加入以来上向き始めた。

移籍初年からブランドは平均18.2得点、11.6リバウンド、2.5ブロックという大活躍でオールスターに初選出。クリッパーズからの選出は1994年のダン・マニング以来というから、クリッパーズの悲惨なチーム事情が見て取れる。

以来ブランドはチームリーダーとしてブルズ時代以上の期待を寄せられた。2003年にはFAになり、マイアミ・ヒートが獲得に動いたが、ドナルド・スターリングオーナーはブランドに6年8200万ドルという凄まじい契約を提示して引き留めた。

これだけ貰うと途端に怠け始める不心得な選手も多いが、ブランドは人格者なので契約に見合った活躍をとますます頑張るのだった。2005-2006シーズンはチームの実に14年ぶりの勝ち越しに大きく貢献。2度目のオールスターに選出された。

更に同年はシャシェフスキーが監督を務めるアメリカ代表に招集され、世界選手権に出場。して銅メダルを獲得。そして名うての駄目チームを台風の目に押し上げたリーダーシップが高く評価され、NBAスポーツマンシップ賞を受賞。

レイカーズだけがバスケットではないとロス市民に強烈にアピールするブランドだったが、翌シーズンをアキレス腱の負傷で棒に振ると、ブランドの選手人生の歯車が狂い始める。

クリッパーズとの契約延長を断られ、故郷に近いという理由でフィラデルフィア・76ersに移籍。76ersでも移籍早々肩を脱臼してしまう事故に見舞われ、以後は6年8200万ドルという巨額の契約に見合わない成績になってしまい、2011-2012シーズンからはPFからCにコンバート。シーズン終了後に解雇された。

翌シーズンはダラス・マーベリックスに移り、更に翌シーズンはアトランタ・ホークスへ移籍。しかしこの頃にはスターターの座を守る力もなくなり、2014-2015シーズン終了後に引退を表明した。

しかし、シャシェフスキーの強い勧めもあって現役復帰を決意し、2015-2016シーズン途中に76ersと契約。このシーズンを持って本当に現役を引退した。

引退後はアイビーリーグの知能を活かして76ersのフロントに入り、2017年からはGMに就任。更に映画製作会社も経営している。

思えばシャシェフスキーの勧めのおかげで今の仕事につけたとも言える。この人が名将と呼ばれる所以はこういう所にあるのだろう。

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