Howard Eisley(ハワード・アイズリー)
(1972-)
Basketballer
Position: Point Guard
Collage: Boston Collage
Height:188cm Weight:80kg
Stuts
アイズリーはデトロイトのハイスクールではスーパースターであった。しかもチームメイトにはジェイレイン・ローズとボション・レナードが居た。対戦相手はさぞ嫌だったろう。
ボストンカレッジへ進み、1年目から中心選手として活躍。特に最終学年となった1993-1994シーズンにはNCAAトーナメントでエリートエイトに進出。オールトーナメントチームにも選ばれている。
同年ドラフト2巡目でミネソタ・ティンバーウルブルズが指名したが、満足な成績を残すことができずにシーズン開幕間もなく解雇。サンアントニオ・スパーズと契約したもののやはり生き延びることはできず、シーズン後半はCBAで過ごす屈辱のルーキーイヤーとなった。
しかし、翌シーズンにユタ・ジャズとの契約を勝ち取ると、ジョン・ストックトンのバックアップとして平均4.4得点、2.2アシストを記録して存在感を見せた。
ストックトンに似て視野が広く、アグレッシブで汚れ仕事を辞さず、それでいてスタンドプレーを良しとしない寡黙なナイスガイで、ストックトンの離脱時にはスターターも務めるなど ジェリー・スローンHCから高く買われて活躍。2年連続でのファイナル進出に地味ながらも大きく貢献した。
2000-2001シーズンは四角トレードでダラス・マーベリックスへ移籍。スターターも務めて平均9.0得点、3.6アシストというキャリアハイのシーズンを過ごしたが、翌シーズン開幕前にニューヨーク・ニックスにトレード。以後は頻繁にチームを変わるようになる。
2003-2004シーズン途中にフェニックス・サンズへトレード。しかし、出場機会の減少を嫌ってバイアウトし、翌シーズンはジャズに出戻った。因みにサンズはアイズリーに代わるPGとして田伏勇太と契約した。そう考えるとアイズリーは日本バスケットの大恩人だ。
ジャズでは一定の出場機会を得たものの、翌シーズンはロサンゼルス・クリッパーズに移籍。しかしクリッパーズでは衰えが覗き、解雇を経てデンバー・ナゲッツと契約。
ナゲッツではいよいよ衰えは顕著で、シーズン途中にシカゴ・ブルズにトレード。しかしブルズではプレーの機会を得られずに解雇され、そのまま現役を引退した。
アイズリーはストンカレッジでちゃんと勉強をしてコミュニケーション学の学位を取っていた。これが効いて2010年からロサンゼルス・クリッパーズのコーチに就任。更にワシントン・ウィザーズ、ニックスのコーチを歴任して、現在はミシガン大学のコーチを務めている。
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