ジョン・スタークス John Starks ~The Dunk~

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John Starks(ジョン・スタークス)
(1965-)
Basketballer
Position: Shooting Guard
Collage: Oklahoma State
Height:190cm Weight:81kg

Stuts

https://twitter.com/nyknicks/status/1132300417558298627

オクラホマに古来住むクリーク族の血を引くスタークスは、ハイスクールも最終学年になってからバスケットを始め、才能を発揮してDiv.IIのロジャー州立大に進んだ。

同大ではロースターにも入れず雑用係のような事をしていたという。どう考えてもNBAに行けるようなキャリアではない。しかも選手同士で揉め事を起こし、仕返しに相手の部屋からステレオを盗み出したのがバレて退学になった。

翌シーズンはノーザンオクラホマ大へ転校して活躍したのだが、強盗とマリファナをやらかしてこれまた退学になり、バスケットは諦めて短大へ進んだのだが、遊びでバスケットをしていたところをコーチに見いだされ、オクラホマ州立大に紹介されて同大で1シーズンプレーした。世の中何が幸いするのかわからない。

とはいえドラフトで指名されるような実績は残していなかったため、1988-1989シーズンにドラフト外でゴールデンステート・ウォリアーズと契約した。

しかし、この年のドラフトでウォリアーズは全体5位で同じSGのミッチ・リッチモンドを指名。スタークスは一定のパフォーマンスを見せながらも控えとして36試合に出場するにとどまり、おまけに怪我をしてしまい、マイナーのCBAに送られてしまった。

翌シーズンは結局マイナー暮らしを余儀なくされ、一縷の望みをかけて続く1990-1991シーズン開幕前にニューヨーク・ニックスのトライアウトを受けて見事契約を勝ち取り、スタークスの人生に光が差した。

のだが、生来のお調子者ぶりが顔を出し、練習中にパトリック・ユーイングに乗っかってダンクを試みて振り落とされ負傷。年末までに怪我が治らないとクビと宣告された。

だが、蓋を開けてみるとクビになるどころかスターターの地位を掴み、190センチの小さな体に似合わぬハードなディフェンスと底なしの闘志、何よりスリーポイントでチームとニューヨーカーの支持を獲得。自分を押しも押されぬ人気選手にしてくれた救世主と、スタークスはユーイングを今尚崇めている。

翌シーズンは持ち前の身体能力とキャラクターを買われてスラムダンクコンテストに出場。続く1992-1993シーズンは平均17.5得点、5.1アシストの大活躍を見せ、それ以上にディフェンスを高く評価され、オールディフェンスの2ndチームに選出。更にプレーオフでは大暴れを見せる。

1stラウンドの相手はインディアナ・ペーサーズ。日頃レジー・ミラーを激しくライバル視していたスタークスは闘志を爆発させ、ミラーに頭突きをかまして退場処分を受けるという珍事を起こした。

それでもチームは何とか勝ち上がり、カンファレンスファイナルでシカゴ・ブルズに敗れたものの、スタークスはマイケル・ジョーダンとホーレス・グラントの頭越しに伝説の”The Dunk”を決め、バスケットの歴史に名を刻んだ。

翌1993-1994シーズンはキャリアハイの平均19.0得点、5.9アシストでオールスターに初選出され、チームもファイナルまで進出したものの、このファイナルがスタークスにとってトラウマになってしまった。

第3戦、スタークスは得意のスリーポイントを試みたのだが、ハキーム・オラジュワンがファウルで阻止。2本のフリースローが与えられ、スタークスは両方決めたものの、結局このゲームをニックスは落とした。このゲームは翌シーズンからスリーポイントをファウルで止めた場合はフリースローは3本とルールが改められる契機になった。

このシーズン、たまたま”同居人”のニューヨーク・レンジャースが54年ぶりとなるスタンレーカップを獲得し、この試合後にアリーナで行われた祝勝会にニックスの面々も招待された。これにインスピレーションを得たニックスは巻き返し、天下分け目の7戦目に及んだのだが、これがスタークスを余計に不幸にした。

84-86のビハインドで迎えたラスト1秒。逆転を狙うスタークスはスリーポイントを狙ったのだが、またしてもオラジュワンが、今度は文句のつけようのないブロックで抑え込み、ニックスは敗れた。

翌シーズン、スタークスは雪辱を果たそうとするようにスリーポイントを打ちまくり、プロバスケット史上初のシーズン200本超えとなる217本を決める快挙を果たしている。

しかし、シーズン終了後に恩人パット・ライリーHCがフロントと揉めて退任し、後任にあろうことかウォリアーズ時代のHCだったドン・ネルソンが就任。スタークスは干されてしまう。

ネルソンはシーズン途中に解任されたが、入れ替わりにアラン・ヒューストンが加入してポジションを奪われてしまい、スタークスは控えに降格。しかし、それでもスタークスはシックスマンとして存在感を放ち、1996-1997シーズンはシックスマン賞を受賞している。

翌1997-1998シーズン終了後にトレードで古巣ウォリアーズへ。今度はスターターとして大事にされたが、続く1999-2000シーズン途中に因縁のシカゴ・ブルズへトレード。

しかし、年齢もあってこのあたりからパフォーマンスが低下し始め、ブルズはこのシーズン限りでお払い箱となり、ユタ・ジャスへ移籍。移籍初年度はスターターを守ったものの衰えは明らかで、翌2001-2002シーズン限りで現役を引退した。

現在はニックスのフロントに入り、その傍らで評論家としても活動。スリーポイント982本は今尚チームレコードとして残っている。

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