ケビン・ダックワース Kevin Duckworth ~Duckworth Memorial Doc~

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Kevin Duckworth (ケビン・ダックワース)
(1964-2008)
Basketballer
Position:Center
Collage:Eastern Illinois
Height:213cm Weight:124kg
Stuts

地味な選手が実はチームのキーマンだった、という事がチームスポーツには往々としてある。そういう選手の値打ちに気付くのはいつもいなくなってからだ。

シカゴで育ち、ハイスクールで得点記録を作り、イースタンイリノイ大へ進んで同大のリバウンドの記録も作ったダックワースは、1986年にドラフト2巡目でサンアントニオ・スパーズに入団した。

無名校出身で2巡目指名とあって前評判は低く、さしたる出場機会も与えられないままルーキーシーズン途中でポートランド・トレイルブレイザーズへトレード。プレイザーズでも控えのまま過ごした。

ブレイザーズのセンターは当初サム・ブウイが担っていたが、このブウイが足の故障で戦線離脱し、スティーブ・ジョンソンが当時はスターターを担っていた。ところが、このジョンソンも怪我で1987-1988シーズン序盤にリタイア。ダックワースにチャンスがやってきた。

ダックワースはこの機会を完全にものにし、平均15.8得点、7.4リバウンドをマーク。それ以上に守備でチームに大きく貢献し、MIPを獲得した。

1988-1989シーズンは開幕からスターターの座を守り、平均18.1得点、8.0リバウンドとさらに成績を伸ばし、オールスターに初選出。シーズン終了後にブウイとジョンソンは放出され、ダックワースは名実ともにブレイザーズのセンターとなった。

飛び抜けた数字を残すわけではないが、堅実な守備とリバウンドでバック・ウィリアムズと共にフロントコートを固め続けた。主役ではなかったが、ブレイザーズ黄金時代の主役の陰には必ずダックワースが居た。

2回のファイナル出場にも大きく貢献し、91年にもオールスターに選出。しかし、段々とチームのサラリーキャップは苦しくなり、1992-1993シーズン終了後にワシントン・ブレッツにトレード。

このトレードは失敗だった。ドレクスラーはチームに残っていたが、ダックワースを欠いたチームは成績を落とし、長く地区優勝から遠ざかることになった。

一方ダックワースも苦しんた。体重の増加に悩まされてポテンシャルを大きく落とし始めたのだ。全盛期は125キロ前後だったのが140キロほどに増えていたという。

ブレッツ移籍以降はスターターの座を維持できなくなり、ミルウォーキー・バックス、ロサンゼルス。クリッパーズと渡り歩いて現役を引退した。

引退後はポートランド郊外でカーミット・ワシントンとスポーツバーを経営したり、ヨットの販売を手掛ける傍らで、ブレイザーズの主宰するバスケットクリニックのコーチを務めていたが、2008年8月25日に心臓疾患で若くして世を去った。

死後にダックワースの名を冠した奨学金基金が設立された他、ポートランドにはケビン・ダックワース記念桟橋なるものもあるという。

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