ラリー・ナンス・シニア Larry Nance .Sr 〜The High-Ayatolla of Slamola〜

ブログ存続のための寄付を募集しております

Larry Nance .Sr(ラリー・ナンス・シニア)
(1959-)
Basketballer
Position: Power Foward
Collage: Clemson
Height:208cm Weight:92kg

Relatives:
Larry Nance .Jr(ラリー・ナンス・ジュニア)(息子)

Stuts

サウスカロライナで自動車整備士の息子として生まれたナンスはバスケットの才能があったが、自分も父親同様に整備士になることを志望して工業系のハイスクールに進み、コートよりもガレージに居る時間の方がずっと多かったという。

それでもナンスのバスケットの才能は際立っていて、奨学金を得てクレムゾン大学に進学。NCAAトーナメントでのエリートエイト進出の原動力となり、現在でも破られない同大の得点記録を樹立した。

1981年に全体20位でフェニックス・サンズが指名。ルーキーイヤーは控えだったものの、2年目の1982−1983シーズンにはスターターの座を掴み、平均16.7得点、8.7リバウンド、そしてリーグ4位となる2.6リバウンドを記録して華々しく売り出した。

208センチとPFとしては大きいとは言えない体格ながらインサイドで攻守に強みを発揮し、更には特筆すべきジャンプ力でブロックを量産する派手なプレースタイルで人気と信頼を獲得。1984年には初開催となったスラムダンクコンテストでクレイドルダンクを決め、見事初代王者の座を勝ち取った。

実はナンスは色物視される事を恐れてコンテストへの出場には及び腰だったのだが、その不安を良い意味で裏切る大活躍で1984−1985シーズンには本番のオールスターにも初選出。ファン公募で名付けられた”The High-Ayatolla of Slamola”というゴージャスなニックネームに恥じないスタープレイヤーとしてゴールを塞ぎ続けた。

1987−1988シーズン途中にトレードでクリーブランド・キャバリアーズに移籍。同じカーマニアのブラッド・ドアティーとの強力フロントコートでサンズ時代以上に攻守に鳴らし、1988−1989シーズンには平均17.2得点、2.8リバウンドの大活躍で2度目のオールスターに選ばれるとともに、オールディフェンスチーム1stに選出。名実ともに上り調子でNBAの黄金時代を盛り上げたキャバリアーズの顔となった。

しかし、ナンスをもってしてもマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズには力が及ばず、ファイナルへの進出が叶わないままチームはドアティーの引退など櫛の歯が抜けるように徐々に弱体化し、ナンスも1992−1993シーズンに3度目のオールスターに選ばれたものの、翌シーズンは故障もあって出場機会が減り、このシーズンを持って現役を引退した。

ブロック数では毎年のようにトップ10に入り、しかも上位に居るのはセンターだけというPFとしては出色のブロック力で歴代21位となる2027ブロックを記録。上位には数人のセンターフォワード登録の選手が居るが、後は全員センターで、PFとしてはダントツの1位であり、背番号22はキャバリアーズの永久欠番となっている。

2人ずつの息子と娘は全員バスケットプレイヤーとなり、長男のラリー・ナンス・ジュニアは特に才能を発揮してワイオミング大から2015年に全体27位でロサンゼルス・レイカーズ入り。控えながらも着実にキャリアを積み重ね、2017−2018シーズン途中に父の馴染みのキャブスへ移籍。チームと父のお墨付きを得て背番号”22”を背負い頑張っている。

引退後は趣味が高じてドラッグレースのチームオーナーとして活動。資金難で苦労しているようだが、息子の活躍とキャブスのタイトル獲得を好機とスポンサー探しに精を出しているという。

コメント