マイク・ダントーニ Mike D’Antoni 〜Run&Gun〜

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Mike D’Antoni(マイク・ダントーニ)
(1951-)
Basketballer
Position: Point Guard/Head Coach
Collage: Marshall
Height:190cm Weight:83kg

Stuts

ハイスクールでコーチをしていたイタリア系の父親の元ウェストバージニアで生まれたダントーニは、マーシャル大学を経て1973年にドラフト2巡目でカンザスシティ・キングスに入団した。

スティールに強みを見せる選手ではあったが今ひとつ活躍することが出来ず、1975−1976シーズン途中にABAのスピリッツ・オブ・セントルイスへ移籍。よくシーズンは再びNBAに出戻ってサンアントニオ・スパーズと契約したものの、控えを抜け出すことは出来ずチームを去ることになった。

翌シーズンからはイタリア系ということもあってイタリアに活路を求め、当地の名門オリンピア・ミラノと契約するとダントーニの才能は大きく開花した。

チームの中心選手として長きに渡って大活躍し、2回の欧州王者のタイトル獲得に貢献。得意のスティールで華麗にボールを奪い取って鮮やかにゴールを決めるスタイルから”アルセーヌ・ルパン”のニックネームを頂戴し、ついにはチームの通算得点記録を更新。背番号”8”は永久欠番になっている。

当時のイタリアには他にも数人のNBA経験者が居た。その一人、ジョー・ブライアントの息子はダントーニのプレーに大きな薫陶を受けた。彼こそコービー・ブライアントである。

イタリア国籍を取得して代表でのプレーも経験し、1989−1990シーズンを持って現役を退き、そのままミラノのHCに就任してコーチとしてのキャリアをスタート。タイトル獲得や他のチームでのコーチングも経験し、1997−1998シーズンにデンバー・ナゲッツのコーチとしてアメリカへの凱旋を果たした。

翌シーズンからはHCに就任。しかしロックアウトによるシーズン短縮の混乱もあって14勝36敗と結果を残せず解任。古巣のスパーズにスカウトとして拾われ、ポートランド・トレイルブレイザーズのコーチを経て再びイタリアへと戻っていった。

イタリアで再び結果を残し、2002−2003シーズンに今度はフェニックス・サンズのコーチに就任し、2003−2004シーズン途中にフランク・ジョンソンHCにの解任に伴いHCに昇格。ダントーニはバスケットボールの世界に革命を起こすことになる。

シーズン終了後にFAでスティーブ・ナッシュを獲得。ダントーニの代名詞となるイタリアで培ったラン&ガン戦術がここから始まった。

当時のNBAはショットクロックを一杯に使ってビッグマンをゴール下まで進めていくというスタイルが主流であった。これを根本から覆し、ピックアンドロールを多用し、ボールを保持したら7秒以内にシュートを打つという速攻戦術がダントーニの提唱したラン&ガン戦術である。

ナッシュのようなシュート力とセンスのあるリーダーがいれば手っ取り早く体現することが出来、見栄えがしてファンや選手からの受けも良いこの戦術はまさに革命であった。当時のサンズは殆どディフェンス練習をしていなかったと伝わるが、2003−2004シーズンを62勝という驚異の成績で終え、ダントーニは最優秀コーチに選出された。

更にダントーニは田臥勇太を獲得しているのも特筆に値する。能代工業の走るバスケットを体現した田臥はダントーニには値打ちのある選手に見えたのだろう。

ショーン・マリオン、アマーレ・スタウマイヤーといったナッシュの脇を固める選手も台頭し、ナッシュはその甲斐あって2年連続のMVPを獲得。チームも好調そのものであったが、オフェンス偏重でムラのあるランアンドガン戦術はプレーオフで弱く、ティム・ダンカンを中心として堅牢なディフェンスを誇るスパーズの前に苦杯をなめ続けることになった。

世界選手権でアメリカ代表のコーチを務める栄誉にも預かったが、結局プレーオフで結果を残すことの出来なかったダントーニはフロントと確執を作り、2007−2008シーズンを持って退任。興行的観点からも魅力あるダントーニは争奪戦となり、4年2400万ドルの契約でニューヨーク・ニックスのHCにとなった。

古巣からスタウマイヤーを呼び寄せ、更にカーメロ・アンソニーといういかにも好みなキープレイヤーを得たダントーニであったが、もともとのチーム状態が余りに悪かったこともあって結果を残せず、契約を残して2011−2012シーズンでチームを去ることになった。

オフにはロンドンオリンピックで代表コーチを務め、翌2012−2013シーズン開幕直後、成績不振で解任されたマイク・ブラウンHCの後釜としてロサンゼルス・レイカーズに招かれた。フィル・ジャクソンを呼び戻すことも考えられていたというが、難しいトライアングルディフェンスを標榜するジャクソンよりも、80年代の”ショータイム”を彷彿とさせるバスケットを目指すダントーニをジェリー・バスオーナーは買ったのだった。

しかし頼みの綱でかつて自分に憧れたコービーも下り坂のレイカーズはいかんともし難く、2年目には長年続いたチームののプレーオフ出場が途切れるに至り、結局2年で退任。その後フィラデルフィア・76ersのコーチに就任したが、2016−2017シーズンから今度はヒューストン・ロケッツのHCとなった。

ロケッツではチームを生き返らせることに成功し、2度目の最優秀コーチのタイトルも獲得。先日行われたジャパンゲームズでも来日を果たすなど日本にも何かと縁が深く、印象的に活躍している。

この分だとロケッツを首になってもダントーニはどこかで拾われるだろう。この男の人生は世渡りの大事さを教えてくれる。

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