ミッチ・リッチモンド Mitch Ritchmond ~The Rock~

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Mitch Ritchmond(ミッチ・リッチモンド)
(1965-)
Basketballer
Position: Shooting Guard
Collage:Kansas State
Height:196cm Weight:97kg

Stuts

https://twitter.com/warriors/status/1094012248232730624

リッチモンドのバスケット人生は華やかに見えて厳しいものだった。カレッジは短大を経て当時強いとは言えなかったカンザス州立大に進んだ。

しかし、リッチモンドはカレッジでめきめきと力をつけ、最終学年となる1987-1988シーズンにはチームはNCAAトーナメントでエリートエイトに躍進するとともに全米8位に入る。更にリッチモンドはソウル五輪の代表チームに選ばれている。”The Rock”の異名はこの頃付いた。

同年全体5位でゴールデンステート・ウォリアーズと契約。マイケル・ジョーダンから「得点力で自分を超えられる才能がある」と高く買われるなど将来を嘱望され、平均22.0得点、4.2アシストの好成績で見事に期待に応えて新人王を獲得した。

ジョーダン御墨付の得点力に加えて頑強なフィジカルの持ち主で、ティム・ハーダウェイ、クリス・マリンとの強力オフェンスは”Run TMC”と呼ばれて恐れられた。

その後もウォリアーズのスコアラーとして鳴らしていたが、チーム成績は今一つ上向かず、1991-1992シーズン開幕前にトレードでサクラメント・キングスに移籍した。

キングスはカンザスシティに本拠地を置いていた時代から通して実に8年連続で負け越していたウォリアーズ以上の弱小チームであった。そしてリッチモンドの在籍中とうとう1度も勝ち越すことは叶わず、連続負け越しは17年に及んだ。

だが、そんなチームだけにキングスにとって唯一無二のスタープレイヤーとしてリッチモンドは大事にされた。ファンからの支持も絶大で、移籍2年目の1992-1993シーズンにオールスターに初選出されたのを皮切りに6年連続で出場。1995年のオールスターではMVPを獲得している。

更にはアトランタ五輪の代表にも選ばれ、ソウルで取り逃がした金メダルを獲得。しかし、そんなリッチモンドの活躍もチームの成績を埋め合わせるには至らず、1997-1998シーズンを最後にクリス・ウェバーとの交換でオーティズ・ソープとともにワシントン・ウィザーズに放出された。

しかし、ワシントンでのリッチモンドは怪我がちになり、成績を落としてしまう。移籍初年度は平均19.7得点と初めて20点台を下回り、これを最期に20点台に戻ることはなかった。だが、10シーズン続けての平均21得点超えは今のところ僅か4人しかいない。

高年俸ながら結果を残せず、故障に苦しむリッチモンドをウィザーズは持て余した。ジョチームはウォリアーズやキングス以上にひどく低迷し、ジョーダンの加入もあって立場を失ったリッチモンドは3年目の2000-2001シーズンの契約切れとともに解雇。ロサンゼルス・レイカーズに拾われた。

弱小チームでずっと選手人生を送ってきたリッチモンドにとって、強豪も強豪のレイカーズでの日々は刺激的であった。控えに回ったもののチームはあれよあれよという間に勝ち進み、ファイナルまで進出。

ニュージャージー・ネッツを迎え撃ってのファイナルもレイカーズは圧倒的強さを見せ、3連勝で迎えた4戦目も圧倒。大差で迎えた試合終了間際、このプレーオフで1試合しか出場がなかったリッチモンドは出場の機会を与えられ、ボールを持たされてそのまま試合終了のブザーを聞いた。かつての強敵であったリッチモンドに、レイカーズの面々は最後の最後で花を持たせてくれたのだ。

リッチモンドはこれを花道に現役を引退。背番号”2″はキングスの永久欠番となり、2014年にはバスケットの殿堂に迎えられている。確かにリッチモンドは一時代を築いたのだ。

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