ノーム・ニクソン Norm Nixon ~Mr.Big~

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Norm Nixon (ノーム・ニクソン)
(1955-)
Basketballer
Position:Point Guard
Collage:Duquesne
Height:188cm Weight:77kg
Stuts

ニクソンの両親は2歳で離婚した。母方に引き取られたが、当の母親は難病に侵され、ノームと二人の兄は事実上祖母と大叔父に育てられた。

ハイスクールではバスケットは言うに及ばず、フットボールでもRB兼DBとしてオールジョージアに選ばれ、ピッツバーグ・スティーラーズとダラス・カウボーイズからドラフト外でのオファーが来ている。更に陸上では走り高跳びで195センチを飛び、トランペットが吹けて高校の年鑑の編にも携わったというのだから超人的だ。

バスケットで奨学金をもらってデュケイン大に進学。同大はお世辞にも強いとは言えない無名校だったが、ニクソンの活躍に引っ張られる形で1976-1977シーズンにはNCAAトーナメントに進出し、ニクソンはカンファレンスMVPを受賞した。同大のNCAAトーナメントの進出は今のところこれが最後だ。

同年の全体22位でロサンゼルス・レイカーズが指名。ルーキーイヤーからスターターに座り、平均13.7得点、6.8アシスト、1.7スティールを記録。オールルーキー1stに選ばれる活躍を見せた。

今以上にPGが小さかった時代とはいえ188センチという際立った小兵であったが、これまた際立ったセンスの持ち主で、”Mr.Big”という逆説的なニックネームが付いた。それだけの存在感があったのだ。

翌シーズンにはリーグトップの201スティールを記録。更には同年は全体1位でマジック・ジョンソンが加入。規格外に小さいニクソンは、規格外に大きいジョンソンを目付け役として陰ながら支えることになる。

翌シーズンからレイカーズは”ショータイム”と呼ばれた黄金時代を迎える。カリーム・アブドゥル・ジャバーがMVPを、ジョンソンも新人王こそラリー・バードに譲ったものの、前年47勝しかできなかったチームを一気に60勝まで引っ張り上げ、ファイナルを制していきなりMVPを獲得。

華々しくゴールを決める二人であったが、そのボールがどこから来るかといえば、やはりニクソンからであった。ショーには常にバイプレイヤーが必要なのだ。このシーズンのニクソンはリーグトップの平均39.3分に出場している。

同年にはジャバーやジュリアス・アービングと連れだって映画にも出演。ニクソンはその映画に振付師兼任で出演していたデビー・アレンと交際を始め、1984年に結婚。一人だけ余計にビッグな獲物を仕留めてみせたのだった。

1981-1982シーズンにも再びファイナルを制し、オールスターにも初選出。いずれのシーズンでもプレーオフでの勝負強さが際立っていた。

翌シーズンもファイナルに進出し、三度76ersを迎え撃って3つ目のリングを狙ったのだが、アンドリュー・トニーと接触して肩の肉離れを起こす事故もあり、チームはスイープで敗退を喫した。

翌1983-1984シーズン開幕前にバイロン・スコットとのトレードでサンディエゴ・クリッパーズに移籍。ジョンソンが台頭著しいとはいえ当時のレイカーズはトレードに消極的で、ニクソンの放出は衝撃を持って迎えられた。

翌シーズンにはロサンゼルスに移ってくるクリッパーズだったが、当時はどうしようもない弱小チームで、スターらしい選手と言うと、同年限りで去って行くテリー・カミングスと衰えの見えるビル・ウォルトン程度という寂しい状況にあった。

そんな中でニクソンは一人気を吐き、リーグトップの914アシストを記録。さらに翌シーズンにはチームで唯一オールスターに選出されたのだが、チームを浮上させるには及ばず、古巣のレイカーズが相変わらず黄金時代を謳歌するのをしり目にずっとクリッパーズは低迷を続けた。

おまけに今度は怪我がニクソンを襲う。1986-1987シーズン開幕前のオフにアクシデントで左の太腿を負傷してシーズンを全休。更に翌シーズンはキャンプで右のアキレス腱も痛め、これまた全休。翌シーズンは何とか復帰したものの、衰えは顕著で、同年限りでチームを去った。

翌シーズンはイタリアでプレーし、そのシーズンをもって現役を引退。代理人に転身して、ジェイレイン・ローズ、サマキ・ウォーカー、NFLのアル・ウィルソン等を担当。更に妻とダンススクールを経営し、解説者も務めるなど、引退後もマルチに活躍している。

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