ヴィニー・ジョンソン Vinny Johnson ~The Microwave~

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Vinnie Johnson (ヴィニー・ジョンソン)
(1956-)
Basketballer
Position:SG

Collage:Baylor
Height:188cm Weight:95kg
Stuts

ブルックリンで生まれ育ったジョンソンは、テキサスのマクレーン短大へ進んで全米制覇を果たし、1977年にベイラー大学へ編入。2年で平均24.1ポイントという同大のレコード記録を樹立し、1979年に全体7位でシアトル・スーパーソニックスに入団した。

ルーキーイヤーは31試合の出場に終わったものの、2年目は81試合に出場して平均28.5分の出場ながら13.0得点をマーク。後に代名詞となる得点力の片りんを見せつけた。

翌1981-1982シーズン途中にグレッグ・ケルサーとのトレードでデトロイト・ピストンズへ移籍。当時のピストンズは弱小チームであったが、このピストンズでジョンソンは開花する。

ピストンズには既にアイザイア・トーマスが居て、後にジョー・デュマースも加入してくるが、ジョンソンは小兵ながらも爆発的な得点力を武器に、この両者の脇を固めるシックスマンとしての地位を確立したのだ。

アール・モンローの影響で着けたという背番号”15″を背に、ビハインドやゲーム終盤の苦しい場面で投入され、短いプレイタイムで得点を荒稼ぎするスタイルは恐れられた。

ジョンソンに乗せられてピストンズの他の面々も元気を取り戻すため、付いたあだ名はダニー・エインジの命名による”The Microwave(電子レンジ)”。ジョンソンが登場する終盤は”Cooking time”と呼ばれ、会場の盛り上がりはピークに達した。

“バッド・ボーイズ”ピストンズの頼れる点取り屋として長く親しまれ、1989年のファイナル初制覇に大きく貢献。連覇を狙う翌シーズンのファイナル、ポートランド・トレイルブレイザーズを相手に迎え、3勝1敗と優勝に王手をかけて迎えた第5戦でジョンソンのバスケット人生はハイライトを迎える。

ゲームを通して要所で印象的な活躍を見せていたジョンソンだったが、90-90の同点で迎えた最終盤、残り時間0.7秒で投じた15フィートのシュートが見事に決まり、ピストンズは劇的連覇を達成したのだった。

余談ではあるが、この一戦以降ジョンソンには”007″という新しいニックネームが付いた。まさにこの頃のジョンソンの活躍は秘密兵器的であった。

三連覇を狙った翌シーズンも全試合に出場し、チームは三度ファイナルへ駒を進めたものの、ジョーダン率いるシカゴ・ブルズに4連敗を喫し、チームは瓦解。ジョンソンはウェーバーにかけられ、大学時代を過ごしたテキサスのサンアントニオ・スパーズへ移籍した。

スパーズ移籍初年もある程度の活躍は見せたものの衰えは隠せず、同シーズン限りで引退。1994年には背番号”15″はピストンズの永久欠番となっている。

引退後は一時期ラジオの解説者を務めていたが、同時に事業でも成功し、現在では200人の社員を抱えるカー用品会社の会長に収まっている。

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