ルイジアナ州立大 Louisiana State Tigers 中篇 ~Cannon&Bandits~

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カレッジフットボール風土記 第1回 ルイジアナ州立大 Louisiana State Tigers
・前篇(2月1日投下予定)
・中篇(2月11日投下予定)
・後篇(2月21日投下予定)

さて、ポール・ディーツェルHCがタイガース史上最高の黄金時代を築くわけだが、その滑り出しは快調なものではなかった。FBジム・テイラーが2年続けてサウスイースタンカンファレンスの得点記録を塗り替える活躍を見せ、1957年にはRBビリー・キャノンが加入したものの、チームは低空飛行を続けた。

転機は1958年、ディーツェルが兼ねて温めていたスリープラトンシステムを採用したことである。そもそも当時は今と選手交代のルールが異なり、一度交代した選手は次のクォーターまで再出場ができなかった。したがって選手は攻守両方でプレーするのが当たり前であった。

そこでディーツェルはチームを3つに分けた。レギュラーメンバーの”White Team”に、控えでオフェンス専門の”Go Team”、そしてディフェンス専門で当時流行った漫画から名づけられた”Chinese Bandits”である。クォーターの最終盤で控えの両チームは投入された。

控えなので選手としての能力は一段落ちるわけだが、なにしろ相手チームは疲れ切っている。そしてその間に”White Team”は休みが取れる。ディーツェルとタイガースはフットボールの分業制に革命を起こしたのだ。

更にタイガースはこのシーズンから”タイガーパンチ”というスポーツドリンクを開発して選手に供給し始めた。ゲーターレードが世に出るのが1965年だから、このドリンクがタイガースの面々のパワフルなプレーに分業制とともに一役買ったのは容易に想像がつく。

特に”Chinese Bandits”の活躍は目覚ましいものがあった。プロでも活躍するDEメル・ブランチ以下闘争心に富んだメンバーが集められ、複数人でボールキャリーにタックルする所謂”ギャングタックル”を身上とする彼らの尽力でタイガースはカレッジナンバーワンの堅牢な守備で勝ち進んだ。

そして彼らはキャノン以上に人気があり、尊敬されていた。地元のレストランが彼らに因んだ中国風の笠をおまけに付けてスタジアムに出店すると飛ぶように売れた。中国風の不気味なお面をかぶったメンバーたちの姿はLIFE誌の表紙を飾り、あるメンバーは”White Team”への昇格の話を拒絶し、また”White Team”のある選手はコンバートの上で”Chinese Bandits”への加入を喜んで受け入れた。

彼らの尽力による1試合当たり喪失ヤード143.2ヤードという今なお破れられないチームレコードとキャノンの縦横無尽の活躍で1958年シーズンは11勝無敗。シュガーボウルを制して全米王者のタイトルを20年ぶりに勝ち取った。

また、タイガースがホームゲームでも白のジャージを着用する伝統はこの頃に始まった。一説にはディーツェルHCが当時強豪だったジョージア工科大を真似して始めたものだという。1983年にはNCAAの規定で禁止されたこともあったが、以来ルールの許す限りこの伝統は守られている。

翌シーズンも全米3位にチームは躍進し、キャノンはタイガース史上初のハイズマン賞を受賞。1961年にもオレンジボウル、1962年にはコットンボウルを制し、以後毎年のようにタイガースはボウルゲームを制する強豪へと変身する。

1964年には選手交代のルールが現在の形に変わり、ディーツェルのスリープラトンシステムは過去のものになった。しかし、今でも”Chinese Bandits”のためにマーチングバンドが作った応援歌”Bandits”はターンオーバーや3rdダウンを守り切った際に演奏される。

1970年にはカレッジ殿堂入りを果たし、プロでもリードパサーになるQBバート・ジョーンズが加入し、ディフェンスではDBトミー・カサノバが奮闘して10年ぶりのカンファレンス制覇を達成。しかし、ジョーンズが去った後はボウルゲームどころかランキング入りさえままならないシーズンが続く。

これは人種差別の問題が無関係ではない。当時の南部は黒人は表を歩くだけでも危険な有様で、70年代に至っても白人だけのチームは珍しくなく、黒人選手も多くはそんな南部のカレッジにあえて入ろうとはしなかった。

それでも黒人の影響力が伝統的に大きいルイジアナは比較的リベラルな方で、州のためにも必要と判断した知事の肝いりで、1972年には二人の黒人選手がタイガースに迎えられた。ニューオーリンズ出身ということで選ばれたCBマイク・ウィリアムズと、バージニア出身でハイスクールのオールアメリカンにも選ばれていたローラ・ヒントンである。

ウィリアムズはオールアメリカンに選ばれ、1975年に全体22位でサンディエゴ・チャージャーズに指名されて長く活躍した。当時宿舎で金曜に必ず出たというルイジアナ名物のザリガニ料理に面食らった(彼に限った話ではなかったようだが)ヒントンの方は怪我で活躍できなかったが、知的な彼は黒人の後輩候補が大学に見学に訪れた際の案内役として陰ながらチームに貢献した。今でもスタジアムの警備員として務めているという。

かくして80年代にもなると徐々にチーム成績は上向き、1983年にはラジオ中継のアナウンサーにジム・ホーンソンが就任。2016年まで長年にわたって名物アナウンサーとして親しまれ、”Tigers Voice”の異名を取った。

1986年には16年ぶりにカンファレンス制覇を達成。1988年にもカンファレンスを制したが、大一番となったオーバーン大戦では6-0から残り1分41秒で逆転のTDが決まった。観客が熱狂して大騒ぎしたため300メートルも離れた大学の研究所の地震計が反応し、この試合は”Earthquake game”と名付けられて伝説となった。とにかくタイガースファンは熱狂的なのだ。

何しろ木曜日にはファンはスタジアム周辺にキャンピングカーで駆けつけ、土曜の夜ともなれば大渋滞となる。一説によると土曜のスタジアム周辺は全米で一番交通事故の発生率が高いのだという。

そしてタイガースタジアムは10万人を超える客席数を誇り、うるさいのでも有名である。アラバマ大の名将ポール・ブライアントHCをして「太鼓の中に居るようだ」言わしめるほどクラウドノイズが凄まじく、カレッジでは珍しくナイターが多い事も相まって全米一の難所と恐れられるまさに”虎穴”である。

とかく不思議なスタジアムで、10ヤードラインではなく5ヤードラインに数字が描かれており、今や全米でも数えるほどしかないH型のゴールポストを持ち、ポストは時々熱狂した学生に破壊される。そんな不思議なスタジアムがルイジアナの人達はジャズと同じくらい好きなのだ。

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