ダリル・ジョンストン Daryl Johnston ~エミットのために~

Daryl Johnston(ダリル・ジョンストン)
(1966-)
American Footballer
Position:Wide Receiver
Collage: Syracuse
Height:188cm Weight:110kg

Stats

 優秀なRBの陰には常に優秀なリードブロッカーが居る。ともすれば忘れられがちなこの事実を最も体現したのは今回の主人公のジョンストンをおいて他ない。

 ニューヨーカーのジョンストンはハイスクール時代には西ニューヨークのMVPを獲得するほどの選手であり、またGPA4.0を記録して卒業生総代に選ばれたほどの傑物であった。

 インテリの優秀なフットボーラーなれば進学先は選り取り見取りで、シラキュース大に進学。2年目にはFBの定位置を掴み、最終年にはオールアメリカンに選出。後にはシラキュース大のオールセンチュリーチームにも選ばれている。

 経済学の学位を取得してちゃんと大学を卒業し、1989年に全体39位でダラス・カウボーイズに。この知的でチャリティーにも熱心なニューヨーカーはルーキーイヤーからFBの地位を確固たるものにしてテキサンの心を掴んだ。

 巨体とどこか優雅なたたずまいから控えQBのベイブ・ローフェンバーグから”ムース”というニックネームを頂戴し、ジョンストンが観衆の大ムースコールで迎えられるのはダラスの新名物となった。

 その人気ぶりは招待されたジョンストンの母親がコールをブーイングと間違えて驚くほどで、また、客の方もこのコールは楽しいと見え、やがてこのムースコールは”全国区”になった。

 だが、ジョンストンが真価を発揮したのは翌シーズンにエミット・スミスが加入してからであった。

 エミットの行く所には常にジョンストンが居た。ジョンストンが切り開いた道をエミットが進む。エミットとジョンストン止めようとすればトロイ・エイクマンの出番だ。マイケル・アービンだってジョンストンには少なからず世話になっている。

 つまり、トリプレッツの陰には常にジョンストンが居たと言っていい。だが、ジョンストンにとってもエミットにとってもやはりお互いは特別な存在であった。

 ジョンストンの活躍はFBというポジションその物の在り方を変え、1993年にはプロボウルにFBの枠が新設されるに至った。それまで数字に貢献度の顕れないFBはプロボウルへの出場は困難であった。

 このシーズン初のスーパーボウル制覇を果たしたジョンストンは当然のようにその第1号に選ばれ、エミットと仲良くハワイへと赴いた。

 その後もエミットと二人三脚でラッシングヤードをひたすら積み上げ、3回のスーパーボウル制覇を経験。しかし、エミットの代わりにディフェンダーを一身に引き受ける日々は徐々に体を蝕み、1997年には連続試合出場が149でストップ。

 翌シーズンはどうにかフル出場を果たしたものの、もはやジョンストンの首は限界を迎えており、続く1999年シーズンをもってエミットを残してフィールドを退いた。引退の決意を最初に告げたのはエミットであったという。

 エミットの成績はこれ以来目に見えて下降線をたどるようになった。しかし2002年、エミットはウォルター・ペイトンが打ち立てたラッシングヤードのNFL記録を更新した。大半はダリルと一緒に稼いだものだ。

 ジョンストンはその時解説席にいた。ジョンストンはフィールドへ降りて行ってエミットと熱い抱擁を交わし、二人並んでフィールドを一周した。この日だけはエミットが前を行った。

 エミットの2010年の殿堂入りのセレモニーのスピーチの時にもジョンストンは客席に居た。エミットはジョンストンに向かって「君が居たから今日がある」と言い切った。

 ジョンストンもまた「彼以外の為にプレーすることは考えられなかった」と語る。まさに全米が泣いた二人三脚はこの日本当に完結したのだった。

 ジョンストンはその後解説者としてキャリアを重ねたが、2019年にはAFLのサンアントニオ・コマンダーズのGMに就任。しかしAFLは長持ちせず、今はXFLのダラス・レネゲイターズのディレクターを務めている。

コメント