Bertrand Berry(バートランド・ベリー)
(1975-)
American Footballer
Position:Defensive End
Collage: Notre Dame
Height:190cm Weight:115kg
Stats
人が老いるのは何かを諦めた時などという。とすれば、プロフットボーラーの大半は、ほんの数年で精神は老衰してしまうのだろう。
ベリーは諦めずもがいたことでチャンスをつかんだ。しかし、これは極めて幸運であったとしか言いようがない。実力は大抵紙一重だ。
ハイスクールではバスケットと陸上でもスター選手で、円盤投げとハードルの記録は今なお破られないというベリーは、ノートルダム大学へ進学し、最終学年でLBのスターターの地位を確保、1997年のドラフト3巡目でインディアナポリス・コルツに指名された。
巨体を生かすためにプロではDEにコンバートされ、ルーキーイヤーは控えだったものの、2年目には12試合に先発。4.0サックを記録したが、翌シーズンは移籍してきたチャド・ブラツケにポジションを奪われ、シーズン終了後に解雇された。
セントルイス・ラムズと契約したものの、キャンプでカットされ、CFLのエドモントン・エスキモーズでプレー。翌シーズンはデンバー・ブロンコスと契約し、バートランドは二度目のチャンスを掴んだ。
ブロンコスでも最初は控えだったが、体格とスピードを両立したパスラッシャーとして徐々に存在感を増し、2年目の2002年シーズンには控えながら6.5サックを記録。翌シーズンからは完全に定位置を掴み、11.5サックを叩き出した。
しかし、出自が出自だけにバートランドは低年俸で、オフに契約切れになると争奪戦が発生した。争奪戦に勝利したのは5年2500万ドルを提示したアリゾナ・カージナルスであった。
当時のカージナルスはどうしようもなく弱く、FAも失敗続きであったが、バートランドは完璧に期待に応え、スティーブ・カーに次ぎNFC最多となる14.5サックを記録してプロボウルに選出。リーグ最低クラスだったカージナルスディフェンスは一気に改善された。
以来、怪我がちながらも居るだけで敵が怖がり、苦労人でチャリティーにも熱心な人格者であるバートランドはカージナルス再建の最前線に立ち、2007年には10年ぶりの五分の勝ち星を獲得し、2008年には地区優勝を達成し、スーパーボウルに進出。ピッツバーグ・スティーラーズの前に僅差で敗れたものの、バートランドは檜舞台に立つことができた。
単年ながら契約延長を勝ち取り、翌シーズンを持って現役を引退。カージナルスでの出場はわずか72試合、52先発であったが、チーム歴代6位となる40.0サックを記録している。
引退後はラジオの解説者を務めながら、現役時代から熱心に取り組んでいた小児白血病向けの財団を経営している。幸運を掴んだ男なればこその善行と言えよう。
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