ボブ・リリー Bob Lilly ~Mr.Cowboy~

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Bob Lilly (ボブ・リリー)
(1939-)
American Footballer
Position:Difensive Tackle

Collage:Texas Christian
Height:196cm Weight:118kg

Stuts

https://twitter.com/TCUFootball/status/990022698670657536

リリーがテキサスの農家に生まれたのはもう宿命だったとしか言いようがない。最初からミスターになることが決まっていたのだ。

ところが50年代のテキサスを襲った大旱魃の影響で家業が立ち行かなくなり、一家はオレゴンに移り住むことになった。

だが、フットボールに加えてバスケットでも活躍し、槍投げでオレゴン州のチャンピオンに輝いたリリーは方々の大学から誘いを受け、テキサスクリスチャン大を選んでテキサスへと舞い戻ったのだった。

クリスチャン大はお世辞にも強いとは言えないチームだったが、控えDEとしてプレーした2年目にカンファレンス王者になると、先発に定着した3年目はゲーム平均8失点という好守備を見せてタイ記録ながら連覇を達成。同年と4年時に連続でオールアメリカンに選ばれる活躍を見せた。

ちなみに4年目のオールアメリカンはコダックがスポ:ンサーになっていて、副賞としてカメラとフィルムが選手たちに贈られた。リリーはこれをきっかけに写真を趣味にするようになり、遠征には必ずカメラを持参して試合の前後を撮影に費やすようになった。

地元テキサスでは絶大な人気を誇っていたことから、1961年のNFLドラフトでは全体13位で創設したばかりのダラス・カウボーイズが、AFLドラフトでは14位でダラス・テキサンズがリリーを指名。リリーはカウボーイズを選び、記念すべきカウボーイズの指名第一号選手として華々しくデビューした。

LDEとしてキャリアをスタートし、2年目の1962年シーズンにはプロボウルに選ばれるなど、文句なしの活躍を見せていたのだが、3年目シーズンの序盤にRDTにコンバート。これがみごとにはまった。

スピード、パワー、闘志を高いレベルで兼ね備え、常にダブルチーム、時にはトリプルチームで抑え込まれてそれでも止まることを知らないという始末に負えない存在で、”Doomsday(この世の終わり) difence”と恐れられたカウボーイズディフェンスの中心に君臨し、”Mr.Cowboy”の異名を頂戴して絶大な人気を獲得した。

コンバート翌年の1964年から10年連続でプロボウルに、8年連続でオールプロに選出され続ける大活躍を見せ、1970年にはチーム初のスーパーボウルに進出したが、ボルチモア・コルツにラスト9秒で同点からのFGを決められて敗退。悔しさのあまりヘルメットを投げ捨てる暴挙に出てひと騒動おこしている。

雪辱に燃える翌シーズンは11勝3敗として再度スーパーボウルへと駒を進め、FGで3得点を許したのみというカウボーイズディフェンスの面目躍如というべき試合ぶりでマイアミ・ドルフィンズを圧倒し、とうとうチーム初のスーパーボウル制覇を達成したのだった。3失点は現在でもスーパーボウル記録である。

特にリリーはQBボブ・グリーズに29ヤードものロスを強いる痛恨のサックを食らわせる活躍を見せた。これもまたスーパーボウル記録であり、リリーのフットボール人生を象徴するスーパープレイである。

ここまでまさにミスターの異名に相応しい働きぶりを見せていたリリーだったが、1973年には足を故障してカンファレンスチャンピオンシップを欠場。これがキャリア唯一の欠場になってしまった。

その後も欠場こそないものの怪我に悩まされて衰え始め、1974年シーズンを持って現役を引退した。14シーズンに渡って196試合連続出場というチームレコードを打ち立てたリリーの後釜探しは難航し、1977年のランディ・ホワイトの台頭を待たなければならなかった。

引退翌年の1975年11月23日はボブ・リリーデイと銘打たれ、リリーの名前がスタジアムの壁に掲げられた。これが現在も続くカウボーイズリングオブオナーの始まりである。以後、新しい名前が加えられる際のセレモニーにはリリーが招待されるのが恒例となっている。

引退後はテキサスでビール販売の事業を始めて成功を収めたが、1982年に飲酒運転で交通事故を起こしたのを機に事業を売却し、趣味を活かして写真家に転身。写真集を出版するなど、12人の孫に囲まれながら悠々自適の生活を送っている。

1980年にはプロの、1981年にはカレッジの殿堂入り。60年代と70年代のオールディケードチームにも選ばれており、現在でも史上最高のDTとの呼び声も高い。

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