ドナルド・ドライバー Dnald Driver ~Quickie~

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Dnald Driver(ドナルド・ドライバー)
(1975-)
American Footballer
Position:Wide Receiver
Collage: Alcon State
Height:183cm Weight:87kg

Stats

https://twitter.com/packers/status/1023316246706700289

ドライバーはヒューストンの極貧の家に育った。両親は早くに離婚し、モーテルで暮らしていたという。少年時代から素早く、ひとたび逃げ出すと捕まらないことから母親は彼を”Quickie”と呼んだ。

だが、極貧故にドライバーはその素早さを悪用せざるをえなかった。子供のうちから車泥棒や麻薬の売人といった裏家業に手を染め、持ち前の素早さを活かしてして稼いでは家計の足しにした。

この悲惨な日々は14歳で祖母に引き取られてようやく終わった。更生を果たしたドライバーはハイスクールに進むことができ、フットボール、野球、バスケット、陸上と持ち前の素早さを学校と己の名誉のためにいかんなく発揮して大活躍した。

これが認められてアルコン州立大へ進学。同大は弱小校であったが、ドライバーはフットボール以上に陸上競技で才能を発揮。跳躍競技で大活躍し、特に走り高跳びは2.3mという驚異の記録を残し、アトランタ五輪とシドニー五輪の代表候補にもなっている。

しかし1999年に7巡目指名でグリーンベイ・パッカーズに指名されるとドライバーはフットボールの道を選んだ。最初は控えだったが、年々出場機会を増やし、2002年シーズンにはスターターの地位を掴むと、70レシーブで1064ヤード、9TDという大活躍でブレイク。プロボウルに選出された。

オリンピック級の跳躍力と俊敏性、必ず1000ヤードは捕る安定感、そして何より苦労人故のガッツと優しさがドライバーにはあった。以来このチャリティーにも熱心な熱い男はファーヴの無二の相棒としてパッカーズファンの人気と信頼を獲得した。

獲得ヤードに比してTDは意外に少ない。これはファーヴの視野の広さの賜物である。どのターゲットもおおむね均等にTDを得ているのだ。だが、ヤードが一番多いのはドライバーにファーヴが信頼を置いていたことに他ならない。

パッカーズのもう一人のWRは絶えず入れ替わったが、ドライバーはずっとそこに居た。2003年シーズンこそ不調で621ヤードに終わったものの、これ以降6シーズン連続の1000ヤードレシーブを達成。ドライバーに投げておけばどうにかなるだろうというのはファーヴとグリーンベイ市民の長年の共通認識であった。

2006年にはキャリアハイの1295ヤードを投げ、2度目のプロボウルに選出。続く2007年シーズンはファーヴがダン・マリーノの打ち立てた通算61361ヤードの記録を塗り替える記念すべきパスを捕っている。

更にプレーオフのニューヨーク・ジャイアンツ戦ではチームレコードとなる90ヤードのロングTDを記録。記録ずくめのシーズンを3度目のプロボウルで締めくくった。

このシーズン限りでファーヴはチームを去ったが、新パートナーのアーロン・ロジャースの元でも相変わらずの安定感で、2009年にはスターリング・シャープが打ち立てた595レシーブのチームレコードを更新。

この頃には若手のグレッグ・ジェニングスに1番手を明け渡したものの、2010年シーズンには負傷しながらもピッツバーグ・スティーラーズを下して悲願のスーパーボウル制覇を達成。

この呼称でパフォーマンスを落としたものの、2011年シーズンにはジェームス・ロフトンが打ち立てた9656ヤードの記録を破り、パッカーズ史上初の10000ヤードレシーブを達成。しかし衰えはいかんともしがたく、2012年シーズンは控えで終始し、このシーズンをもって現役を引退した。

パッカーズ一筋で14年のキャリアを全うしたドライバーをたたえるべくパッカーズはチーム史上初の引退式を開き、スタジアムの前の銅像はドライバーを記念して背番号を”80″に変更。さらにはグリーンベイの街の通りの一つにドナルド・ドライバー通りと名前が付けられた。ドライバーはパスだけではなく、グリーンベイの人々の心をつかみ取ったのだ。

引退後は著述業に意外な才能を発揮し、児童書を出したのを皮切りに、自伝はベストセラーになった他、トレーニングと健康食の本も出している。フィールドから紙の上に舞台を変えても縦横無尽の活躍である。

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