ジェイソン・ハンソン Jason Hanson ~先生~

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Jason Hanson(ジェイソン・ハンソン)
(1970)
American Footballer
Position:Kicker
Collage: Washington State
Height:183cm Weight:86kg

Stats

キッカーというのは実に辛い仕事だ。ゴールを決めるのが当然で、外して負ければ全責任を押し付けられ、悪くすればその日限りでクビだ。ともすればキッカーは脚ではなくメンタルでボールを飛ばしているのだ。

ハンソンは実にキッカー向けの男であった。ハイスクールではバスケットやサッカーでもレターマンで、おまけに頭脳明晰でGPAが4.0もあったという。この頭脳を活かして一般入試、所謂ウォークオンでワシントン州立大へ進んだ。

弟のトラビスもプロには進まなかったもののワシントン大で全米王者のメンバーになっているが、ハンソンも図抜けた飛距離を武器に数多くの記録を打ち立ててオールアメリカンに選ばれる活躍を見せ、1992年に全体56位でデトロイト・ライオンズに指名された。キッカーで2巡目指名は十年に一人か二人だから、ハンソンは稀に見るエリートだ。

果たしてハンソンはルーキーイヤーから確実性と飛距離を併せ持ったキッカーとして際立った活躍を見せ、オールルーキーに選ばれている。当時のライオンズは1993年には地区優勝を達成するなど、常時プレーオフに顔を出せる程度の成績を残していた。

ハンソンは間違いなくそのキープレイヤーであった。RBバリー・サンダースが進めるだけボールを進め、エンドゾーンに届かなければハンソンが一気にけりをつける。届けばやっぱりハンソンがもう1点を添える。当時のライオンズはそういうチームであった。1995年にはリーグトップの48回のエクストラポイントを蹴り、すべて成功させている。

しかし、ライオンズは20世紀が終わりに近づくにつれて弱体化を始める。1997年と1999年にはハンソンはプロボウルに選出されたが、サンダースはその間にチームの停滞ムードに嫌気がさして引退し、21世紀最初のシーズンを2勝14敗という悲惨な成績で終えたの機に暗黒時代に突入する。

しかし、それでもハンソンは変わらず黙々としてボールを蹴り続けた。たまのTDがあっても冷静に、50ヤードを超える長い距離のFGでも冷静に、オーバータイムの一か八かの場面でも冷静に、たまにパントを蹴らされても冷静に、ストーブリーグでも欲張ったことを言わず冷静に、そして確実に決めるところで決めるのがハンソンの流儀である。

日本では”先生”の異名を取った。痩せても枯れても武士の気位を忘れない腕利きの用心棒という風情を湛え、インテリのハンソンには実によく似合ったニックネームだ。

しかし、変わらないハンソンを一人置いてきぼりにして、ライオンズはどんどん悪い方向へ変わっていく。2008年のハンソンは絶好調で、50ヤード超え8本を含む22本中21本のFGを決め、エクストラポイントも1本外しただけという先生の面目躍如と言うべき活躍を見せたのだが、当のライオンズはNFL史上初のシーズン全敗という不名誉な記録を作ってしまった。

しかし、この全敗がライオンズが別の方向に変わるきっかけになった。あまりに悲惨なシーズンと引き換えに全体1位指名権を得たライオンズは、QBマシュー・スタッフォードを指名。更に翌シーズンは全体2位でDTエンダムカン・スーを獲得。

スタッフォードはWRカルビン・ジョンソンとのホットラインでセンセーションを起こし、スーは良くも悪くも破壊的なパワーで敵を恐怖のどん底に突き落とし、ライオンズは2011年に10勝を挙げて実に11年りに勝ち越しを達成。若者の頑張る中で40歳を超えたハンソンは相変わらず冷静に、確実にゴールを決めるのだった。

しかし、冷静なるハンソンも歳と故障には勝てなかった。20年以上に渡って酷使してきた脚は少しずつ悪くなり、2012年シーズン終了後に潮時を悟って現役を引退した。ラストシーズンに至っても無様な数字は残していない。ハンソンは最後まで信頼のおける男としてフィールドを去ったのだ。去り際さえ冷静であった。

ついにプレーオフでの勝利を経験することはできなかったが、1チームで327試合に出場するという恐らく今後も破られないだろう大記録を打ち立てている。契約でごねる事がファンやチームに嫌がられ、最後には自分が損をすることを分かっていたハンソンだからこそこの記録が作れたのだ。2014年にはチームの殿堂入りを果たしている。

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