ジュニア・セアウ Junior Seau 〜Tasmania Devil〜

Junior Seau (ジュニア・セアウ)
(1969-2012)
American Footballer
Position:Outside Linebacker
Collage: USC
Height:190cm Weight:113kg

Stats

NFLの選手の人種を調べると、最も優秀であるのは体格と闘争心に優れるポリネシアンなのだという。なるほど、人工に比してサモアやハワイの選手は有意に多い。

セアウはサモアの酋長の一族の生まれであった。親戚にも数人のプロフットボーラーがいるが、NFLでのプレーに至ったのは今の所セアウだけである。

酋長とは言ってもサモアの酋長は財産など持たないため家は貧しく、幼少期はサモアとカリフォルニアを往復し、ガレージで暮らしたこともあるという。そんな環境であったから、セアウは7歳になるまで英語が喋れなかった。

しかし、ハイスクールへ進むとフットボールの他にバスケットと砲丸投げでも州指折りの選手となり、特にフットボールではハイスクールのオールアメリカンに選出。英語を覚えるのは遅かったが頭も抜群に良く、GPAは3.5を記録。

文武両道のスタートして幅を利かせ、USCに進学したのだが、サモア系住民のやっかみを受け、これが面白くなくて悪い遊びを覚えてしまい、学業不振でルーキーイヤーは試合出場が停止になる屈辱を味わった。

2年目からは立ち直ってチームに合流し、3年目の1989年シーズンには12試合で驚異の19サックを記録。PAC-10カンファレンスの最優秀守備選手とオールアメリカンに選ばれ、1990年に全体5位でサンディエゴ・チャージャーズに入団した。

ルーキーイヤーからスターターに座り、2年目の1991年には129タックル、7.0サックという大活躍でプロボウルに初選出。190センチ113キロというLBとしては出色の体格と、セアウには何より闘争心があった、フィールド上における獰猛さと派手なパフォーマンスは恐れられるところであり、地元出身ということもあって絶大な人気を獲得した。

以来毎年プロボウルに選出されるスター選手となり、1992年にはオールプロにも初選出。更に最優秀守備選手のタイトルを獲得している。一方フォールド上の凶暴さとは裏腹にチャリティーにも熱心なナイスガイであり、1994年にはNFLのマンオブザイヤーにも選ばれている。

セアウの活躍もあってチームはスーパーボウルに進出。同じカリフォルニアのサンフランシスコ・49ersに敗れたものの、ピッツバーグ・スティーラーズとのカンファレンスチャンピオンシップではなんと17タックルを記録するなど、セアウの活躍は終始際立っていた。

その後も毎年毎年プロボウルに選ばれ続けるセアウであったが、そのあまりにハードなプレースタイルは徐々に体を蝕み、2002年にはキャリア最低の84タックルに終わり、12年連続となったプロボウルも膝の負傷で欠場。結局これを最後にプロボウルに選ばれることはなくなった。

2003年シーズン開幕前にマイアミ・ドルフィンズにトレード。移籍初年度こそ先発の座を守ったものの、その後は相次ぐ負傷で故障者リストで過ごす時間が長くなり、2006年シーズン州呂語にチームを解雇された。

もはや選手人生はこれまでとセアウは悟り、引退会見ならぬ”卒業”会見を開いてフィールドを去る覚悟を決めたのだが、その数日後にニューイングランド・ペイトリオッツから声がかかり復帰を決断。

ペイトリオッツでは久々にフルに出場し、全盛期ほどではないものの活躍を見せて16戦全勝のパーフェクトシーズン達成に貢献したのだが、11週目のシカゴ・ベアーズ戦でタックルの際に勢い余って右腕を骨折。結局これでこのシーズンは終わった。スーパーボウルもニューヨーク・ジャイアンツに敗れ、後味の悪い一年であった。

以後は控えに周り、単年契約を繰り返しながらペイトリオッツでのプレーを続けたのだが、もはや衰えは誰の目にも明らかであり、40歳となった2009年シーズンを最後に現役を引退した。

引退後はカリフォルニアに戻りビジネスを展開。特に”Seau`s”というレストランは自ら頻繁に顔を出すことからいつも賑わっていたのだが、その一方でセアウは少しずつ気難しくなり、交通事故やDV疑惑を起こしてマスコミを時々騒がせていた。

そして2012年5月2日、セアウは自宅のガレージで銃で自殺した。現役時代の激闘と引き換えに脳はCTEで萎縮していたという。この時期元フットボーラーが同様にCTEで苦しんで命を落とすケースが続出したが、その中でも最も大物でショッキングな死を遂げたのがセアウであった。

NFLはこれを受けて大揺れに揺れ、巨額の補償を元選手に支払うことが決定した。セアウの最期はあまりに悲しかったが、その死は確かに仲間を救った。

2015年には特例で待機期間を待たずにプロフットボール殿堂入り。背番号”55”はチャージャーズの永久欠番となった。NFLの100周年記念チームにも選ばれている。しかし、セアウはもういない。

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