ケン・ステイブラー Ken Stabler ~Southpaw Snake~

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Ken Stabler (ケン・ステイブラー)
(1945-2015)
Amerian footballer
Position:QB

Collage:Alabama
Height:191cm Weight:95kg
Stuts

70年代のレイダーズ黄金時代を支えた名QBである。

現代に至るまで稀な左投げで、しかもフォームはほとんどサイドスロー。そして極度の遊び好きで酒飲み。いかにも型破りで一筋ではいかない曲者ぶりで、レイダーズのリーダーには最適な存在だろう。

1945年のクリスマスにアラバマの田舎町で生を受けたステイブラーは、ハイスクールではフットボールの他に野球とバスケットボールでも活躍。特に野球では大学時代に三度に渡ってMLBドラフトで指名を受けている。

若い頃は俊足を生かして左右にロールアウトしながらのロングパスを得意とし、フィールドを蛇行しながらプレーすることから”スネーク”というニックネームがついた。

大学は名称ポール・ブライアント率いる地元の名門アラバマ大学へ進学。ジョー・ネイマスの後を受けて三年目から先発QBとなり、11戦全勝でシュガーボウルも制する活躍を見せたが、4年目はチーム全体の力の低下もあり低迷。遊び癖とサボり癖をブライアントHCに咎められて危うく干されかけるなど、波乱のシーズンを過ごした

それでも同年のオーバーン大との伝統の一戦”アイアンボウル”では、アラバマ大の伝説となった45ヤードの逆転TDランを決めるなど、随所で印象的な活躍を見せたステイブラーは、同年ドラフト2巡目でレイダーズに入団。

最初の二年はロースターに入れず、マイナーのコンチネンタルフットボールリーグでのプレーを余儀なくされるなど苦しむが、1970年にLBコーチからHCに昇格したジョン・マッデンに見い出されてロースター入りし、1973年に28歳にしてようやく先発の座を獲得すると、リーグトップのパス成功率62.7%をマークしてプロボウルに選出される遅咲きの大ブレイク。

翌1974年はこれまたリーグトップの26TDを獲得し、プロボウルに加えてオールプロ1st、さらにはMVPにも選出。押しも押されぬスターの座を不動のものとした。

膝を壊して若い頃のスピードを失ってしまったものの、MLBも惚れた強肩に物を言わせてパサーとしての地位を確立。ギャンブル的ロングパスを身上としたレイダーズオフェンス陣にはまさにうってつけのQBであった。

同年は新興リーグであるWFLのバーミンガム・アメリカンズに指名を受けた。生まれ育った南部でのプレーを望んでいたステイブラーはこれに乗り気で、「AFLにネイマスがやったことを自分はWFLにできる」と言って脱退騒ぎを起こしている。

結局チームに残留し、1976年には27TD、レーティング103.4といずれもリーグトップの成績をマークして二度目のオールプロ1stに選出。更に1977年にはミネソタ・ヴァイキングスを破って第11回スーパーボウルを制覇。まさにNFLの頂点を極めたのだった。

その後は歳に加えてパスターゲットがチームを相次いで去って行ったこともあって自身とチームの成績は下降線を辿り、1980年にはトレードでヒューストン・オイラーズに移籍。

移籍初年は11勝5敗でチームをプレーオフに導いたものの、翌年は5勝7敗と低迷し、解任されたバム・フィリップスHCに付き従う形でニューオーリンズ・セインツへトレード。ちなみに交換相手はマニング兄弟の父親、アーチー・マニングであった。

セインツでもどうにか先発の座を守ってはいたが、39歳となる1984年にアラバマ大の後輩のリチャード・トッドにとうとう先発を明け渡し、同年途中で現役を引退した。

レイダーズ黄金時代の顔だけあって150試合で100勝に到達する当時のスピード記録を樹立し、1970年代のオールディケードチームにも選ばれている。

引退後は解説者として活動していたが、2015年7月8日に大腸ガンで世を去った。現役時代の無理が祟り、脳はCTEに侵されて萎縮していたという。

根っからの遊び好きから評論家筋の評価が低く、殿堂入りは危ぶまれていたが、2016年に晴れて殿堂入り。一筋縄ではいかない男の名はとうとう不朽のものとなった。

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