Randy Moss(ランディ・モス)
(1977-)
American Footballer
Position:Wide Receiver
Collage: Marshall
Height:193cm Weight:95kg
Relatives:
Eric Moss(エリック・モス)(兄)
Thaddeus Moss(サデウス・モス)(息子)
Stats
何をやってもできる人間というのが居る。モスはそういう人間だ。ただ、何でも出来過ぎると変な方向に人生は向かってしまうらしい。
モスはハイスクールではWR/FS/KR/PR/K/Pという忙しいフットボーラーで、シカゴ・ベアーズでプレーするLBボビー・ハワードとチームメイトであった。2年連続でチームはウェストバージニア州王者に輝いた。
バスケットではジェイソン・ウィリアムズとチームメイトで、州MVPのタイトルを獲得。陸上競技では100mと200mの州王者であり、野球でも代表選手、さらに口が上手くディベートの選手でもあったという。
カトリックなのでノートルダム大か、兄のエリックが居るオハイオ州立大への進学を志望しており、ノートルダム大への進学が一度は決まったが、モスは悪い事も出来過ぎた。
友人の喧嘩に加勢して相手を入院させた事に端を発し、バッテリー泥棒の過去が発覚して30日の禁固刑を科され、ノートルダム大への進学は立ち消え、同じくオファーがあったフロリダ州立大に進んだ。
転校扱いになったためNCAAの規定で試合に出場できずに1シーズン過ごしていたが、マリファナで60日刑期が増え、フロリダ州立大にも居場所がなくなり、自宅に近いという理由でDIv.I-AAのマーシャル大へと転校した。
マーシャル大はDiv.I-AAなので弱小校だが、ディビジョンが違うので試合に出場できた。うっ憤を晴らすようにモスは大暴れし、14試合TD、13試合連続TD、ジェリー・ライスとのタイ記録となる28TDとDiv.I-AAのレコードを軒並み塗り替え、チームは無敗でDiv.I-AAチャンピオンシップを制覇。
これを手土産にマーシャル大はDiv.I-Aに移籍。更に昇格の目玉としてQBチャド・ペニントンが加入し、モスとのホットラインはセンセーションを起こし、驚異の26TDを記録。10勝3敗でいきなりミッド・アメリカン・カンファレンスを制し、モスはオールアメリカンに選ばれた。
更にオールアメリカンに選ばれ、フレッド・ビレトニコフ賞を受賞。アーリーエントリーを宣言し、コンバインで40ヤードを4.25秒で走って猛然とアピールした。
ファンでもあるダラス・カウボーイズの指名が有力視されていたが、素行が問題視されて見送られ、結局全体21位でミネソタ・バイキングスが指名。
ルーキーイヤーからリーグトップの17TDを記録し、自分を”裏切った”カウボーイズ戦では3TDの大暴れを見せた。プロボウルは勿論の事、攻撃新人王にも選ばれた。
1999年シーズンには審判に水筒の水を吹きかけて4万ドルもの罰金を取られている。火曜に素行不良な一方でチャリティーに熱心なこの変わり者は良くも悪くもNFLの顔となり、誰言うとなく”Freak”(怪物)と呼ばれるようになった。
193センチの長身と驚異の身体能力を武器にひとたびロングパスが通るともう止められない。2000年シーズンに強肩のQBダンテ・カルペッパーがチームに加入すると二人のホットラインは大爆発し、開幕7連勝を記録した。
特にこのシーズンのサンクスギビングゲームでカウボーイズ相手に見せた、つま先だけエンドゾーンに残して捕った会心のTDレシーブはCMにも盛んに使われ、NFLプレイヤーの超人性を天下に知らしめた。
オフに8年7500万ドルという超大型契約を結んだが、2001年シーズンは少し成績を落とし、プロボウルへの出場が3年で途絶えてしまった。
この頃には”ジョーダン・ルール”ならぬ”ランディ・ルール”が敵チームに敷かれ、常に誰かがモスをマークしている状態でのプレーを余儀なくされていた。
そこで翌シーズン、臨時HCから昇格したマイク・タイスHCは”ランディ・レシオ”という新戦術を採用した。即ち、モスへのパスを全体の40%に留めることで敵ディフェンスをモスだけに構っていられないようにするというものだ。
これは上手く行き、開幕から5試合は4勝1敗と好成績だったものの、結局モスにパスを投げるという魅力には抗いがたく、この40%はじきに守られなくなり、シーズンが終わってみれば6勝10敗と散々な物であった。
モス自身もマリファナを吸いながら交通事故を起こすなど私生活の乱れもあって7TDと成績を落としたが、プロボウルには返り咲き、ウェイトアップして臨んだ翌2003年シーズンは3度目となるリーグトップの17TDを捕って完全復活。
しかし、2004年シーズンにけがで休場するとモスのフットボール人生に暗雲が立ち込める。グリーンベイ・パッカーズ戦ではエンドゾーンで客席に向かってズボンを下ろして尻を見せる真似をする暴挙に出て1万ドルの罰金を取られている。
バイキングスも持て余し、オフにトレードでオークランド・レイダースに移籍。ガラの悪いレイダースなら肌に合いそうだが、当時のレイダーズはオフェンスが弱く、モス自身も怪我が増えて嫌気がさし、チーム批判を繰り返し、2006年シーズン終了後にトレードされる運びとなった。
ブレット・ファーヴが熱望してパッカーズ入りという話もあったが、争奪戦に勝ったのはトム・ブレイディの契約をいじってまでサラリーキャップを無理矢理空けたニューイングランド・ペイトリオッツであった。
ビル・ベリチックHCはモスにローレンス・テイラー以来のフットボールIQを感じたという。モスの方もどういうわけか厳しいベリチックに懐き、プレシーズンを怪我で欠場したもののブレイディという最高の相棒も得て大乗り気でシーズンを迎えた。
果たしてペイトリオッツのパスオフェンスはロングパスはモス、ショートパスはウェス・ウェルカーというスタイルで一気に強化され、モスはNFLレコードとなる23TDを記録。パーフェクトシーズンの原動力となったが、スーパーボウルは取り逃した。
オフにペイトリオッツと再契約したものの、相方のブレイディが開幕戦で故障してマット・カッセルが先発になった影響もあって成績を落とした。
翌シーズンはブレイディも復帰して5度目のリーグトップとなる13TDを記録。しかし、契約最終年の2010年シーズンが始まっても契約更新の話が無く、チームに必要とされていないと感じたモスはトレードを志願。
4週目の終了後に古巣のバイキングスにトレードされたものの、チーム批判を繰り返して解雇。後半シーズンはテネシー・タイタンズで過ごしたが、全盛期の見る影もない成績で、このシーズン限りで引退した。
しかし、この男は変わり者である。翌年の誕生日に現役復帰を宣言し、2012年シーズンにサンフランシスコ・49ersと契約。このシーズンでようやく本当に引退した。
通算156TDはジェリー・ライスに次ぐ史上2位。素行不良で強いとは言えないチームを転々としながら打ち立てた記録だから値打ちがある。
現役の内から事業でも成功をおさめ、NASCARのチームオーナーとしても活動。現在はESPNで解説を務め、変わり者らしからぬ堅実な第2の人生を送っている。
2018年には殿堂入り。息子のTEサデウスは今シーズンからドラフト外でワシントン・レッドスキンズに加入する事になっている。
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