ローン・スターク Rohn Stark ~Fly high~

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Rohn Stark (ローン・スターク)
(1959-)
American Footballer
Position:Punter

Collage:Florida State
Height:190cm Weight:92kg

Stuts

トランスワールド航空のパイロットの父親の元ミネソタに生まれたスタークのハイスクールでの活躍ぶりは凄まじい物だった。フットボールをすれば本職のパンターの他にキッカー、更にオフェンスでもディフェンスでもプレー。陸上競技をやれば十種競技のチャンピオンで、その試合の合間に野球のピンチヒッターも務めていたというのだから忙しい限りだ。

スタークは父親同様パイロットになることを目指しており、そのための一番の近道であろう空軍士官学校の予備校へと進んだのだが、身体検査で背骨が僅かに湾曲しているのが発見された。背骨が湾曲していると緊急脱出用の射出座席の使用時に危険であり、スタークはパイロットには不適格と判定された。

失意のスタークを救ったのはハイスクールのコーチだった。スタークをフロリダ州立大に紹介したのだ。スタークは同大ついてほとんど何も知らなかったが、言われるままにキャンプに参加した。

パイロットになれなかったのが幸運だったのか不運だったのかは判断しかねるが、コーチがフロリダ州立大を選んだのはスタークにとって間違いなく幸運だった。すっかりチームを気に入ったからだ。

スタークはフロリダ州立大史上に残る万能選手として大活躍を見せた。パンターとして2年連続でオールアメリカンに選ばれ、レイ・ガイ以来のパンターというこれ以上ない評価を獲得。更に十種競技でもオールアメリカンに選ばれ、ロサンゼルスオリンピックの代表候補にまでなっている。

1982年にドラフト2巡目でボルチモア・コルツに入団。パンターは多くがドラフト外入団であり、2巡目指名は異例の高評価である。

生憎とルーキーイヤーはストライキの影響で9試合の短縮シーズンで、コルツの成績も8敗1分という散々なものだったが、スタークは46回のパントでリーグ6位の2044ヤード、リーグ2位の平均44.4ヤードを記録。堂々のオールルーキーに選出された。

翌シーズンは91回のパントでともにリーグトップの4124ヤード、平均45.3ヤードを獲得し、オールプロに選出。若くしてリーグ屈指のパンターの地位を確立。低迷するコルツをしんがりから盛り立て続けた。

カレッジの4年間を通じてブロックなしという確実性もさることながら、スタークの最大の強みは左利きであるという点に尽きる。ボールの回転と軌道が他のパンターと異なるためリターナーは戸惑い、酷い時にはボールをこぼす。それ故平均ヤード数は常に40ヤードを軽く超え、リーグトップを3回記録している。

1985年にはプロボウルに初選出され、以後4回に渡って選出。ちなみにコルツからの選出はスタークを含め年2.3人という寂しい時期が長く続く。スタークは間違いなくコルツの看板選手だったのだ。

13年コルツでプレーしながらプレーオフは87年に1試合だけという厳しいキャリアを積んできたスタークだったが、1995年にピッツバーグ・スティーラーズに移籍すると運命が変わった。

スティーラーズはコルツと違って強豪で、11勝5敗の成績で危なげなく地区優勝を飾るとプレーオフも順調に勝ち進み、スーパーボウルに進出したのだ。奇しくもカンファレンスチャンピオンシップの相手は、ワイルドカードから勝ち上がってきた古巣コルツであった。

スーパーボウルはトリプレッツ擁するダラス・カウボーイズの前に27-17で敗れたものの、スタークは4回のパントで179ヤードを獲得。対するカウボーイズのジョン・ジェットは5回で191ヤードに留まっている。

翌シーズンは新設間もないカロライナ・パンサーズへ移籍。更に翌シーズン途中からシアトル・シーホークスに加入するものの、先発に定着するには至らず、同年を持って現役を引退した。ボルチモア・コルツでプレーした現役選手はスタークが最後であった。

パント1141回は歴代13位、49471ヤードは9位、コルツで記録した985回、43162ヤードはいずれもチームレコードとなっている。

引退後はハワイに移り住み、不動産のブローカーとして働いている。知名度を生かして好成績なようだ。

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