ロニー・ロット Ronnie Lott ~49ersの守りの顔~

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Ronnie Lott(ロニー・ロット)
(1959-)
American Footballer
Position:Corner Back/Safety
Collage: USC
Height:183cm Weight:92kg

Stats

90年代の49ersはとにかく強かった。モンタナが、ヤングが投げたパスをライスが捕る。相手ディフェンスはなすすべもない。そういうチームであった。一方でディフェンスはどうであったかというと、ロニー・ロットががっちり固めていた。

空軍で下士官を20年務めたという歴戦の勇士である父親の元、ニューメキシコで生まれたロットはハイスクールでRB兼DBとして異次元の活躍を見せ、これを認められてUSCへと進んだ。

USCでは1年目は出場が叶わなかったが、2年目に運命を決める出会いをした。後にプロで敵味方となって会いまみえるマーカス・アレンがチームにやってきたのだ。

どちらもポジションは同じRB兼DB。起用は悩ましい所だったが、ジョン・ロビンソンはロットのタックルの強さに目をつけ、ロットをDBに、アレンをRBにそれぞれ専念させることで決定した。

これが功を奏し、攻守の要を得たUSCは同年のローズボウルを制し、全米チャンピオンのタイトルを獲得。翌シーズンも全米2位につけてローズボウルを連覇。翌シーズンはチームの成績は振るわなかったものの、ロットはオールアメリカンに選ばれ、全体9位でサンフランシスコ・49ersに指名された。

驚異のハードヒットとボールへの嗅覚はルーキーイヤーから高く評価され、いきなりLCBのポジションを得ると、89タックル、7INT、リーグトップでルーキーレコードとなる3INTTDをマークする大活躍でチームのスーパーボウル制覇に大きく貢献。新人王は惜しくもローレンス・テイラーに譲ったものの、プロボウルとオールプロにダブル選出された。

翌シーズンはロックアウトで9試合の短縮シーズンだったが、試合数が減ったおかげでかえってパフォーマンスが良くなり、リーグトップの68タックルを記録。以後もリーグきってのCBとして大いに売り出していくはずだったのだが、1985年シーズンの最終戦、ダラス・カウボーイズ戦で事件が起きた。

FBティミー・ニューサムに自慢のハードヒットをかましたのが災いした。左手の小指を骨折。骨移植手術を行ったものの経過は芳しくなく、結局指を切断するという痛ましい結果になった。

この手術の影響でロットは翌シーズン序盤を欠場。昨シーズンからFSでのプレーをしばしば経験していたが、指が欠けたのではCBは怖くて任せられないということで、完全にSへコンバートされる運びとなった。

ところが蓋を開けてみると指の怪我を感じさせぬ大活躍を見せ、リーグトップの10INTをマークして華麗にカムバック。昨年出場の叶わなかったプロボウルに返り咲くとともに、ルーキーイヤー以来のオールプロにも選ばれた。

その後も49ersのエンドゾーンをを殿からがっちりと固め、あまりに華々しいオフェンス人の陰に隠れながらも4回のスーパーボウル制覇の陰の原動力として大きくチームに貢献。

しかし、勝てば勝つほどにチームのサラリーキャップは余裕がなくなり、ついにはロットも1990年シーズン終了後にプロテクトから外れ、FAでロサンゼルス・レイダーズに移籍。同じカリフォルニアの目と鼻の先で対峙していたかつての盟友アレンと久々の再開を果たしたのだった。

レイダーズでも移籍初年にいきなりリーグトップの8INTを記録してプロボウルとオールプロに選出されたのだが、このあたりから怪我に苦しめられるようになり、10回に渡って選出され続けたプロボウルもこれが最後になってしまった。

それでも先発の座は守っていたが、衰えは隠せず、1993年にはニューヨーク・ジェッツに移籍。しかし1994年にはついにINTなしとなり、翌シーズンはカンザスシティ・チーフスと契約したものの怪我でカットされ、49ersに出戻ったものの怪我が重く、結局開幕前に引退を表明した。

引退後は2000年の資格取得と同時に殿堂入りを一発で達成。背番号42は49ersの永久欠番となり、NFL75周年記念チームにも選出されるなど、NFL史上有数のSとしての地位を確立。カレッジで最もインパクトを残した守備選手に与えられるロット賞にも名を残している。

更には事業でも大きな成功を収め、投資ファンド、中古車販売、スポーツカフェの経営と幅広く手掛け、そのノウハウを生かして引退したアスリートの起業のアドバイサーも務めている。

ちなみに結婚を複数回経験しており、元妻との間に出来た息子にLBライアン・ニースがいる。

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