トム・デンプシー Tom Dempsey ~Stampy 63~

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Tom Dempsey(トム・デンプシー)
(1947-2020)
American Footballer
Position:Kicker
Collage: None
Height:188cm Weight:115kg

Stats

ミルウォーキーで生まれたデンプシーには生まれつき障害があった。右手足の指がなかったのだ。

しかし、彼の父親は特別扱いをしなかった。デンプシーが弱音を吐けば「他の子供と違ってもやればできる」と叱りつけたという。

その甲斐あってハイスクールではフットボールに才能を発揮し、特別製の靴を履いてキッカーとして活躍。さらに大きな体を活かしてDLもやったというのだから大したものだ。

パロマー短大へ進んだが、コーチと対立してチームを去り、1967年シーズンはセミプロリーグであるACFLのローウェル・ジャイアンツでプレー。42本のエキストラポイントを全て決める活躍を見せてサンディエゴ・チャージャーズに拾われるが、ロースターに残ることができず、翌1969年シーズンにニューオーリンズ・セインツと契約してようやくデンプシーの人生に陽が差した。

ルーキーイヤーからリーグトップのFG41本を蹴って22本を成功させ、リーグ最長の55ヤードというロングレンジFGも決める活躍でプロボウルとオールプロに選出。185センチ115キロというラインマン級の巨体とユーモアで”Stumpy”(ずんぐり)という異名を頂戴し、一躍チームの人気選手となった。

だが、当時のセインツは弱かった。1970年シーズンなど1勝しかできないままシーズンを折り返し、8週目のデトロイト・ライオンズ戦を迎えた。

ライオンズは逆に当時は強く、セインツは15-17と苦戦しながらラスト2秒を迎え、デンプシーのFGにすべてを託した。その距離実に63ヤード。1953年にバート・レチチャーが56ヤードを決めたのが当時のレコードであった。

QBのビリー・キルマー(彼がホルダーだったと長年信じられていた)はライオンズの選手がサイドラインで笑っていたと回想する。あまりに絶望的な賭けであったのは確かだった。

ジャッキー・ブラウンがスナップし、ジョー・スカルパティーがホールドしたボールを、デンプシーは完璧なタイミングで蹴った。63ヤードの距離をボールは綺麗に飛び、ゴールポストを通過して大記録が生まれた瞬間、場内は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなり、デンプシーは肩車をされて場内を一周し、バーボンストリートで一晩飲み明かした。

この記録は後にジェイソン・イーラム、セバスチャン・ジャニコウスキー、デイビッド・エイカーズが並び、2013年にとうとうマット・プレイターが64ヤードを決めて破られた。しかし、彼らには指がある。

だが、指がないのがこの偉業をややこしくした。デンプシーの平たい特別製の靴は反則ではないかと物言いがついたのだ。口の悪さで名高いダラス・カウボーイズのテックス・シュラム社長は「ゴルフクラブで蹴るのと同じだ」と特に強硬に反対した。

結局どんな足の形でも靴の先端は同じ形でないといけないという”トム・デンプシー・ルール”という内規がシーズン終了後に作られた。新調した靴にデンプシーは苦しみ、プレーシーズンで8本のFGのうち実に7本を外し、解雇された。

しかし、デンプシーは負けなかった。シーズン途中にフィラデルフィア・イーグルスと契約して表舞台に舞い戻ると17本中12本のFGを決める活躍を見せ、以後もリーグトップクラスのキッカーとして活躍。

1974年にはゴールポストの位置がゴールラインからエンドラインに10ヤード下げられたものの、デンプシーのキックは相変わらずで、1975年にはロサンゼルス・ラムズに移籍し、26本中21本のFGを記録してキャリアハイの成功率80.8%をマーク。

以後ヒューストン・オイラーズ、バッファロー・ビルズとチームを移り、1979年をもって現役を引退した。

引退後は教師の妻と共にニューオーリンズに住み、ハイスクールのコーチや自動車ディーラーとして働き、カトリーナで被災する苦労はあったものの、セインツの殿堂にも迎えられて穏やかに晩年を過ごしていた。

しかし、2020年4月4日、入居していた老人ホームがコロナウイルスに見舞われ、デンプシーは73歳で生涯を終えた。63ヤードを決めた伝説の靴とボールはセインツの殿堂に飾られている。カントンの殿堂の靴は予備だ。デンプシーにとってニューオーリンズは特別だったのだ。

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