トミー・マドックス Tommy Maddox ~Rollercoaster Tommy~

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Tommy Maddox (トミー・マドックス)
(1977-)
American Footballer
Position:Quarter Back

Collage:UCLA
Height:193cm Weight:99kg

Stuts

フットボールの他にも野球やバスケットでも名の知れた選手だったマドックスはUCLAに進んで1年目から先発の座を掴み、2年目にして通算5000ヤードに到達。2年生で5000ヤードに到達したQBはPAC-10カンファレンス史上初であった。

シーズン終了後になんと1992年のドラフトへのアーリーエントリーと結婚を発表。もう一年カレッジで経験を積むべきとの声もあったが、結局ジョン・エルウェイの後継者を探していたデンバー・ブロンコスが全体25位で指名した。

ダン・リーブスHCはマドックスに大きな期待を寄せていたが、当時のブロンコスはエルウェイのワンマンチームと定評があり、他に多くの補強ポイントがある中で更にQBを指名した事には疑問の声も多かった。

とはいえエルウェイもマドックスに目をかけており、6週目のワシントン・レッドスキンズ戦で初出場。8回のパスを投げて2回を成功させて10ヤードを獲得。21歳の選手がパスを成功させたのはなんと1946年にエルマー・アングスマンが記録して以来の快挙であった。

12週目には試合途中で肩を故障したエルウェイの後を受けてプレーし、初勝利を記録。翌週はエルウェイがまた先発に戻るものとマドックスは思っていたのだが、なんとキックオフの3時間前になって急きょ先発を命じられ、以後シーズン終了まで勤めた。

のだが、マドックスはNFLのレベルに付いていけず、チームは全敗。翌シーズンからはエルウェイが先発に戻ったためホルダーとしてプレーし、シーズン終了後にサラリーキャップの都合でロサンゼルス・ラムズにトレード。結局マドックスの指名はブロンコスの歴史に残る失敗となってしまった。

ラムズでは3番手に甘んじ、シーズン終了後に解雇。リーブスがHCを務めるニューヨーク・ジャイアンツに拾われ、移籍初年は2番手でホルダーを務めたものの、翌シーズンにはその座も失い、シーズン終了後にまたしても解雇。

リーブスが新HCに就任したアトランタ・ファルコンズを頼ったもののプレシーズンでカットされてしまい、マドックスは半ばフットボールから足を洗い、ダラスで保険のセールスの仕事に就き、母校のハイスクールでボランティアのコーチをしながら練習を続けた。

それから実に3年、2000年シーズンにアリーナフットボールのチームとの契約を果たしてフットボーラ―に戻ったマドックスは、翌シーズンはXFLと契約した。

XFLはプロレス団体のWWEのオーナーのビンス・マクマホンが立ち上げた新興リーグで、NFLのオフシーズンに安価で手軽にフットボールを観れるように、というコンセプトだったのだが、レベルの低さとフットボールがプロレス様に過度にショーアップされるのを恐れたメディアの非協力もあって上手く行かず、今でも同団体で”ネタ”にされる程の負債を残して1シーズンで崩壊した。

だが、このXFLでの活躍を足がかりに何人かの選手がNFLへの切符を掴んだ。リーグMVPを獲得したマドックスもピッツバーグ・スティーラーズとも契約を果たした。

1年目は何事もなく控えとして過ごしたのだが、正QBのコーデル・スチュワートは今一ぱっとせず、2002シーズン途中から控えのマドックスに先発の座が回ってきた。

ここで31歳にしてマドックス生来のポテンシャルが開花した。11試合に先発して20TD、16INT、7勝3敗1引分をマークし、カムバック賞を受賞。ディビショナルプレーオフまでチームを躍進させる原動力になった。

だが、本人を含めて誰もここまでの活躍を予想していなかったのが不幸を呼んだ。マドックスの年俸は5年契約でわずか75万ドル。2003年シーズンから2番手になったチャーリー・バッジの年俸が100万ドルだから異常ぶりが際立つ。当時の先発QBの中で最低年俸であった。

ダン・ルーニーオーナーとの交渉も空しくこの金額で渋々先発を務めるマドックスだったが、すっかり不貞腐れて成績は低迷。更にシーズン終了後にはベン・ロスリスバーガーがドラフトで指名される。

それでも2004年シーズンはマドックスが先発で始まったのだが、故障するとたちまちロスリスバーガーが台頭し、マドックスはすっかり居場所を失ってしまった。

2005年にはチームはスーパーボウルを制したものの、マドックスは全く良い所がなく解雇の憂き目にあい、チーム不信に陥ったマドックスは恒例のホワイトハウスへの招待を拒絶してチームを去って行った。

その後オークランド・レイダーズやアリーナフットボールでの再起を狙ったものの叶わず、結局同年限りで引退した。現在はテキサスのハイスクールで野球のコーチをしているという。ジェットコースターのように浮き沈みの激しいフットボール人生であった。

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