フレッド・マグリフ Fred McGriff ~Crime dog~

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Fred McGriff(フレッド・マグリフ)
(1963-)
Baseballer
Position:First Baseman
Threw/Batted:L/L
Height:190cm Weight:90kg

Relatives:
Charles Johnson (チャールズ・ジョンソン) (いとこ)

Terry McGriff (テリー・マグリフ) (いとこ)
Stats

 父親は電気技師、母親は教師という典型的なタンパの中流家庭で生まれたマグリフだったが、一つ普通でなかったのはすぐ近くにシンシナティ・レッズのキャンプ地があった事だった。

 当然の帰結としてマグリフは野球少年となり、タンパスタジアムでドリンク売りをしたりと割合平凡に少年時代を過ごしたが、野球の才能が非凡であった。いとこには名捕手チャールズ・ジョンソン、更にテリー・マグリフもメジャーリーガーである。

 ハイスクールでは二年生でチームから外されれる屈辱も味わったが、当時スカウトの熱視線を浴びていたドワイト・グッデンからHRを売った事で評価を高め、ジョージア大に進む予定であったが、1981年に全体9位でニューヨーク・ヤンキースに指名されたことでプロの道を選んだ。

 しかし、ヤンキースの一塁はドン・マティングリーが固めていたため居場所がなく、1982年に3対2のトレードでトロント・ブルージェイズに放出された。

 これはヤンキース史上最悪のトレードと言われている。交換の2選手はまるで役に立たなかったのだ。トレードとはある種の博打である事の証明だ。

 だが、マイナーでトム・エマンスキーコーチに出会ったことが思わぬ形でマグリフの運命を変えた。

 エマンスキーの指導はマグリフにとって有益な物であったが、彼は野球指導のビデオを作る計画を立てており、マグリフを手本に駆り出したのだ。

 子供服を着てのなかなか恥ずかしい撮影であったが、このビデオはマグリフの想像以上に売れ、1%のロイヤリティがマイナー暮らしに大いに足しになり、また”あのビデオ”のマグリフであることは昇格の優先順位に大きく寄与した。ただ、どこのチームへ行っても一回はビデオの格好をされて恥ずかしい思いをするおまけ付きであったと言うが。

 テッド・ウィリアムズもマイナーキャンプで一目置いたというポテンシャルの持ち主で、1986年にはメジャーデビュー。翌1987年から本格的に定着し、打率.247ながら出塁率.376、20HRをマークして一躍売り出した。

 翌シーズンからはファーストの定位置を掴み、打順も上がって打率.282、34HR、82打点を記録。翌1989年には36HRでHR王のタイトルを獲得するとともにシルバ^スラッガー賞も初受賞。実に6年連続で30HRを記録し、メジャーを代表する左の強打者として華々しく売り出していく。

 この頃”Crime dog”というニックネームが付いた。マグリフはこの時代の強打者に珍しくステロイドの噂もない立派な男だが、アメリカ警察が防犯キャンペーンのマスコットの犬がたまたまマグリフだったのだ。しかし、これもまたマグリフの人気に寄与した。

 1990年も打率3割、35HRを打ったが、オフにトニー・フェルナンデスと共にロメルと・アロマー、ジョー・カーターとの大型トレードでサンディエゴ・パドレスに移籍。

 カナダからメキシコ国境ま飛んでもマグリフは相変わらずのパワーで、移籍初年度から31HR、初の100打点越えとなる105打点を記録。翌シーズンには35HRで19世紀にハリー・ストービーが達成して以来という両リーグHR王という快挙を成し遂げ、オールスターに初選出されるとともに二度目のシルバースラッガー賞に輝いた。

 しかし、パドレスの財政は思わしくなく、マグリフを抱えていられなくなり、翌シーズン途中にアトランタ・ブレーブスへトレード。移籍がありながらキャリアハイの37HRをマークし、東海岸でもマグリフはマグリフであるという事を見せつけ、3度目のシルバースラッガー賞を獲得。

 翌シーズンはキャリアハイのシーズンで、打率.318、34HR、94打点をマークし、オールスターでは9回裏にリー・スミスから代打同点HRを打ってMVPに選出。

 更に1995年には27HRで連続記録は途切れたものの、ポストシーズンにマグリフのバットは大爆発し、ワールドシリーズでは2HRを打つ大活躍で悲願の世界一を達成。

 3年連続でオールスターに選出されるなどアトランタでも顔になったマグリフだが、衰えと本拠地球場が広いターナー・フィールドに移った事でHRが減少。1997年は22HRという不本意な数字に終わり、オフにエキスパンションチームのタンパベイ・デビルレイズに譲渡された。

 タンパはマグリフの故郷であり、マグリフは新チームの目玉として故郷に錦を飾る事になった。1年目はチームその物の不調もあって19HRに終わったが、翌1999念は30HRを打って見事復活。

 翌シーズンも27HRを打って久々のオールスターに選出されたが、その一方でマグリフはあまりに弱いデビルレイズにうんざりしつつあった。

 そこへ翌シーズン、サミー・ソーサの後ろを打てる左の強打者を欲していたシカゴ・カブスがマグリフを熱心に誘ってきたのが契機になった。マグリフはノートレード条項を持っていたにもかかわらずこれを自ら放棄し、トレード期限間際にカブスへ移籍した。

 カブスでマグリフはソーサの後ろの五番打者として期待には応えたが、マグリフの期待とは裏腹にプレーオフへは進めずに終わった。

 しかし、翌シーズンは30HR、103打点と昨年以上に期待に応えるとともに、他にゲイリー・シェフィールドしか成し遂げていない5チームでの30HRという快挙も達成。しかし、やはりカブスはプレーオフを撮り逃し、マグリフはこのシーズン限りでロサンゼルス・ドジャースに移った。

 この時点でマグリフは通算478HR。ドジャースとしては興行的見地からもドジャースで500HRを達成してくれれば”美味しい”と見込んでの獲得だったのだが、マグリフは急激に衰え始め、マイナー落ちさえ喫する有様で、13HRでは翌年まで置いておいても達成は怪しいと見たドジャースはマグリフをカットした。

 最後に手を差し伸べたのはデビルレイズであった。故郷で最後に500HRを決めれば劇的ではあるが、現実は甘くなく、僅か2HRという散々な成績でやはり解雇。翌シーズンは移籍先を探し回ったがもはや引き取り手はなく、493HRでマグリフのキャリアは終わった。

 この500HRにぎりぎり届かず終わった事実はマグリフの引退後に影を落とし、殿堂入りをなかなか果たせず苦しんでいる。ステロイドの疑惑がない選手で殿堂入りしていない選手としては最多HRであるという。

 だが、500HRに足りないからと言ってマグリフの栄光が損なわれるものではなく、引退後はブレーブスのフロントに迎えられ、その一方でタンパでラジオ番組を持つなど、人気者である。

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